先生

うちの塾の近隣の市では今年からAI先生が搭載されていて

 

一人ひとりにピッタリの問題を出題してくれる数学の学習アプリを使って学習し始めた。

 

短時間で苦手克服できるというらしい。

 

実はこれは私も体験したことがある。

 

素晴らしい内容だったと記憶している。

 

でも、万人が伸びる理想的な教材とまではいかないだろう。

 

 

 

最近よく考えるのが「理想的な授業」って、どんなものなのだろういうこと。

 

いろいろ考えた挙句、結局は教わる生徒の資質やニーズという要素が、

 

その内容を決定するのだというところで落ち着く。

 

つまり、「万人に妥当する『理想的な授業』」というものは存在せず、

 

「ある生徒に妥当する『理想的な授業』」というものがあるにすぎないということだ。

 

授業の質を決める本質的な部分は、教える側が、教わる側の資質や才能を考え、

 

ニーズをくみ取り、それに誠心誠意応えていくというところにあるのではないだろうか。

 

 

 

ある音楽の指導を紹介したい。

 

シプリアン・カツァリスという、天才的ピアニストの指導風景だ。

 

この動画を見た感想は、「こんな素晴らしい先生に習えば、

 

私でも少しはピアノが弾けるようになるかも」などという、

 

あり得ない感想を持ったほどだ。

 

ちなみに、私は右手と左手の指が同じような動きしかできない。

 

生徒の演奏するショパンの幻想即興曲、うまいけれど、

 

なにかものたりない感じがする。

 

カツァリス先生は、まずこの曲の趣旨を説明する。

 

まず学ぶ対象の全体像を示したのだ。

 

カツァリス先生のすごさは、曲をビジュアル的にイメージさせた上で、

 

とても具体的に指示を出しているところ。

 

「木の葉が揺れ動くイメージ」

 

「風がメリハリを付けて吹くイメージ」、

 

見ているだけ私までも、この曲に対するイメージが広がる。

 

その一方で、生徒への指示は極めて具体的です。

 

ペダルの踏み方、運指のドリルなど、

 

とても分かりやすく指示が出される。

 

これは、カツァリス先生の優れた指導力、

 

つまり、曲想を理解し伝える能力、

 

生徒の抱える問題点を一瞬で見抜く能力、

 

そして、問題点に即した練習を即座に指示できる能力によるものだ。

 

加えて、カツァリス先生は、有名ピアニストであるにもかかわらず、

 

生徒の側に立って、押しつけがましくなくニコニコと指導してくれている。

 

生徒からしても、威圧感を覚えずリラックスして学べる

 

生徒も短時間で演奏のレベルが上がっているのがわかる。

 

私も、同じように生徒に教える立場にある以上、少しでもこういう域に達したいものだと思う。

 

 

 

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