はかりと物差し
はかりは、物の重さを量れるが、
自分の重さは量れない。
物差しは、物の長さを測れるけれども、
自分の長さは測れない。
江戸時代の儒学者・佐藤一斎の言葉である。
含蓄があると思う。
他人と比較することで、
自分を知ることはできない。
当たり前の話だが、
ともすると忘れがちだ。
数値だけで「人間」を推し量ることはできない。
人が秘める可能性の力は多彩だ。
歴史に名を残したチャーチルやガンジー、
アインシュタイン、レントゲンなどは、
若いころは落第生だったり、
劣等生だったりしたという。
しかし、彼らには共通することがあった。
それは「自分で自分をあきらめなかった」ということ)。
決して自分を小さく量ったりはしなかったのだ。
よく「自分はまだまだ」と言う。
私たちは、その言葉を、
自分で自分に見切りを付ける時に使いがち。
そうではなく、着実に粘り強く前へ進もうとする「不屈の言葉」にしたい。
ロシアの文豪ショーロホフ氏は、
「我々は皆、『自分の幸福の鍛冶屋』です」と述べている。
大切なのは自分を、いかに鍛えるかだ。
何事にもめげず、自分らしく努力を惜しまず、
己を過小評価しないこと。
本日も中学生は期末テストに向けて塾に来て集中して学習した。
私語も、スマホも、ダラダラもなく6時間全力で集中。
学力のみならず
集中力、忍耐力、持続力も鍛えていこう。
さて、話題は変わって全寮制インターナショナルスクールの話。
開校ラッシュだが、
卒業生の進路次第では
新たな教育の選択肢になるかもしれない。
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