捨てること

何かを得るということは、何かを捨てるということである

 

私はそう思っているが、意外にそう思っている大人は少ないようだ。

 

仕事の質を高めたい、

 

出世して収入も上げたい、

 

友人とも広く付き合いたい、

 

家族との時間も大事にしたい、

 

趣味も楽しみたい、

 

勉強して知見も広めたい、

 

のんびりと無為な時間も楽しみたい、

 

人脈も広げたい、

 

起業もしてみたい、

 

家事もしっかりこなしたい、

 

育児や教育にも力を入れたい、

 

社会的に意義のあるボランティアにも参加したい、

 

読書がしたい、

 

テレビも見たい、

 

ゲームもしたい、云々。

 

どう考えても無理だろう。

 

時間やお金というリソースが有限である以上、

 

すべてを手に入れることはできない。

 

何かを選ばねばならない。

 

そして、何かを捨ててあきらめなければならない。

 

全てが手に入る、

 

または、全てを手に入れなければならないと考えている人が多いように思える。

 

そういう考えは、結局全てを中途半端にするだけなのではないか。

 

 

 

 

受験生を身近に見ていると、上記のことがさらに増幅されてみえる。

 

クラブを最後までやりとげたい、

 

友人とも楽しく遊びたい、

 

夏休みもエンジョイしたい、

 

家族とも出かけたい、

 

テレビも見たい、

 

のんびりする時間も欲しい、

 

ゲームもしたい、

 

動画も見たい、

 

マンガも読みたい、

 

成績も向上させたい、云々。

 

無理です。

 

中学生の場合、まだ人生経験が乏しいため、

 

そうした考えを持つことも、やむを得ないところはある。

 

しかし、「合格するためには犠牲にせねばならないものもある」

 

と割り切ることのできる生徒の方が、やはり強い。

 

結局、そういう生徒が志望校に合格し、

 

結果として多くのものを手に入れていくのだ。

 

「何も捨てないで全てを手に入れたい」という姿勢の人たちよりも、

 

彼・彼女らの方が、多くのものを手にしていくのは、

 

人生の皮肉だ。

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