詳しすぎる話

「詳しすぎる話はわからない。」

 

中谷彰宏氏の著作に出てきた言葉だ。

 

教える仕事をしていると

 

ついたくさん教えたくなってしまう。

 

授業の中で「よし、いろんなことを教えてやろう!」と意気込むのはいい。

 

しかし、だからといって全てを説明すると、掴みどころのない授業になる。

 

「今日はこれを持って帰れ」と1つか2つ、

 

生徒に提示できる授業こそが

 

いい授業なのだと私は信じてる。

 

私に授業のいろはから教えてくださった今は亡き師匠もそうおっしゃっていた。

 

詳しすぎる説明は決して効果的とは言えないのだ。

 

もちろん端折り過ぎてるのも良くない。

 

その匙加減を生徒の様子を見ながら調節できるのが、

 

いい授業をする先生なんだろうなと思う。

 

昨日は中1の授業だった。

 

全員が定期テストを翌日に控えた生徒たちだ。

 

だからあれもこれもとやってしまい、

 

挙句の果てには違う教科まで授業をしてしまった。

 

本当に良い授業は短距離走ではなくて長距離走。

 

1回の授業で良し悪しは決まらない。

 

1年間とか3年間かけて確実に向上させるのが本当に良い授業。

 

昨日のような場当たり的な授業をしていたら

 

長距離走の発想なんてあったものではない。

 

はじめての定期テストを受ける生徒たちのことを考えると・・・・・

 

なんて言い訳もあるのだが、

 

大いに反省しつつ、

 

次回からはしっかりと長距離走の発想で授業をしようと心に誓った。

 

 

 

これは授業だけでなく保護者会でも同じだ。

 

終わってから質問も出ないほど詳しく話をするのでは、

 

オーディエンスのほうも疲れる。

 

これはどうなんだろうと疑問を持つ程度がいい保護者会なのだと思う。

 

私の保護者はちょっと詳しすぎると反省しつつ、

 

6月の保護者会の準備を始めている。

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