捨てるということ

鋳かけ屋さんという仕事をご存じだろうか。

 

落語や歌舞伎によく登場する職業だ。

 

壊れた鍋や釜を、

 

炭火で溶かした金属を流し、

 

修繕する行商の人たちだ。

鋳掛屋とは - コトバンク

 

 

昭和40年代までは、その姿を時折見ることができたという。

 

「上手な直し跡がついた釜や鍋は、

 

新品より値打ちおましたなぁ。

 

それが文化ってものです」と知る人は言う。

 

傷の無い新品よりも、

 

入念に手が入ったものが尊ばれるのは、

 

確かに一つの高い文化だ。

 

 

「焼き物」でも「完全なもの」ではなく、

 

「傷」が芸術性を高める場合が多い。

 

焼き物の傷は「入」(ひび割れ)などと名づけられ、

 

「景色」(個性)として芸術的に高いと尊ばれる。

 

割れを漆と金属で補修した「金継ぎ」も高い評価を受ける。

 

もともと完全無欠などというものは、

 

ありえないのだから。

 

 

 

 

台風15号による記録的な大雨で、

 

静岡県内各地で土砂崩れや床上浸水が相次ぎ、

 

家財道具や床材など大量の災害ごみが発生した。

 

仮置き場に指定された公園などの回収場所には

 

ごみがあふれ、

 

回収完了のめどが立たないとのことだ。

 

浸水などで、だめになってしまい、

 

捨てざるを得ないものもあるだろう。

 

しかし、この機会に不用品を捨てようという人もいるようだ。

 

夜に見張る人がいなくなると、

 

産業廃棄物を捨てに来る業者もいるとのこと。

 

 

 

 

修理するよりも新品を買った方が速いうえに安いし、

 

さらにゴミの引き取りにお金さえかかるのが

 

普通の世の中だ。

 

でも、このような大量生産大量消費社会も

 

歯止めをかけなければならない。

 

SDGsは、まったなし現在進行中なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

モノだけでなく、人間だって

 

個性や癖のない

 

規格通りでよいと思ってはいないだろうか、

 

そんなことをふと思った。

 

 

 

 

 

 

そういえば、

 

一人ひとりの個性を尊重し

 

協働していくことこそ

 

文科省の描く理想なのだ。

 

それが理想であるということは

 

今の世の中は

 

残念ながらそうではないということだ。

 

しかし、

 

ハードルが高くても

 

理想に向かって

 

挑戦していくことこそが

 

新しい世の中を切りひらいていく

 

先駆者の条件だ。

 

どんなことでもそうだけれども

 

現状に満足せずに

 

一歩ずつ前進していきたい。

 

まずは、私自身を改革をしよう。

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/205379

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