人事を尽くして天命を待つ

夏期講習もいよいよ終盤に突入した。

 

ある小学生はすでに講習テキストを終わらせてしまった。

 

中学1年生の英語も講習テキストが終わった。

 

ものすごい勢いで頑張っている。

 

受験生たちも変化が表れ始めている。

 

夏期講習スタート時点では全く感じることのできなかった「受験生のオーラ」。

 

ひたむきに取り組んでいる受験生からは「受験生のオーラ」を感じる。

 

話していても分かるし、話さずとも目を見ればわかる。

 

受験勉強に打ち込んでいる生徒から伝わってくるものがある。

 

私はそれを「受験生のオーラ」を呼んでいるのだ。

 

夏休みの初めごろは、全くと言っていいほど感じることができなかった。

 

でも、ここ最近は少し感じ始めてきた。

 

それと同時に、

 

「3日間のお盆休みは毎日10時間以上勉強頑張りました!」

 

「電話帳、東北地方まで終わりました!」

 

「スマホ封印しました!」

 

など頑張っている報告も入りだした。

 

 

 

 

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。

 

もともとは、古代中国の戦いの場面で武将の気持ちを表した時の言葉がもととなった格言だ。

 

「人事を尽くす」とは「ベストを尽くす」とほぼ同じ意味で、

 

どのような結果になっても後悔しないほど、やるべきことはやりつくした、という時の心境を表すときに使う。

 

人事を尽くさなければ、「受験生のオーラ」を身にまとうことはできない。

 

「受験生のオーラ」を身にまとっても、受験の結果はどうなるかは分からない。

 

でも、考えてみてほしい。

 

合格発表を待っているときの気持ちを。

 

やれるだけのことをやり切ったと確信しながら結果を待つ自分と、

 

もっとしっかりとやればよかったなと後悔して待つ自分とを。

 

前者と後者、どちらを選びたいのだろうか。

 

 

 

 

天命とは運命のことであり、

 

決められたものである。

 

でも、人事を尽くした上で、天命さえも変えていこうとする――

 

いわば、「不可能を可能にする」

 

受験に限らず、そんな生き方はとても素敵だ。

 

 

 

 

「待つ」はスペイン語で「エスペラール」という。

 

名詞形は「エスペランサ」。

 

意味は「希望」である。

 

 

まだ見ぬ“よりよき未来”を信じるには、希望が必要だ。

 

そのために、今こそ人事を尽くしていきたい。

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