地図
江戸時代の村々では、地図にあたる「村絵図」を作った。
合わせると「国絵図」になり、
さらに集成すると「日本総図」になる。
だが、その精度は、同時代に伊能忠敬が作製した日本地図に及ばなかった。
忠敬が用いた測量法は、
工夫こそ凝らしているが、
当時の一般的な方法で、
技術には大差ない。
では何が違ったか。
それは“志の大きさ”であるという。
忠敬は「地球上における日本の位置と形を明らかにしようとした」のだ。
気宇壮大な忠敬は、
一方で、実際の仕事は丁寧だった。
現地を自分の足と目で測量した。
調査の及ばなかった場所は、
地図には書かなかった。
中学生と話をした。
クラスの中に勉強のできる生徒がいるという。
「あの子に追いつきたい」と語っていた。
その場にいた別の生徒は
「今回学年トップだった野球部の友だちに勝ちたい」と。
さらに別の生徒は、
「北辰テストの志望校別順位で1位をとりたい」と。
目標は人それぞれではあるが、
クラスの中、
学年の中、
志望校の中、
それぞれスケールが異なる。
さらに、まだまだ
全県、
全国、
全世界とスケールは大きくなっていく。
スケールには「物事の大きさの程度」という意味のほかに
「縮尺」という意味もある。
志は大きく。
どんな小さなことも誠実に。
それが“大きな成長”につながる道だろう。
200年以上前に伊能忠敬が地図作成の測量をおこなった。
その地図自体は古いものだが、
彼の生き方、考え方は古くない。
学べることは多いはずだ。