空気感

空気感」は非常にあいまいな言葉である。

 

なぜあいまいなのかというと、

 

目に見えるものではないし、言葉でうまく表現するのも難しいものだからだ。

 

しかし、塾であれ学校であれ、その良し悪しを判断するとき、

 

決め手になるのは「空気感」であると私は思う。

 

 

人間は一人ひとりに個性があり、十人十色である。

 

しかし、出身校を聞くと「〇〇高校っぽい!」と合点がいくことがよくある。

 

私は塾も同様だと考えている。

 

それぞれが、在学中に知らずにそれらしい雰囲気を身につけて巣立っていくからだろう。

 

在学中に先輩や教師、時には同級生から、

 

直接的・間接的に伝わってくる自分にはない新鮮な感覚があると思う。

 

今まで自分が感じたことのないその感覚は、

 

その学校や塾ならではのものだ。

 

新しいものもあれば、中には長い時間をかけて受け継がれているものもある。

 

それらに日々接しているうちに、刷り込まれていくのだ。

 

生徒たちの中には、斜に構えてしまい、うまく刷り込まれない人もいるだろう。

 

中にはどっぷりと環境につかり、そのカラーに染まってしまう人もいるだろう。

 

私は、どうせ同じ時間を過ごすのならば、

 

思い切って飛び込んでいく方がいいと思う。

 

どっぷりと染まってしまったほうが成長できるからだ。

 

飛び込んでいくのも勇気のいることではあるが、

 

飛び込まなければ、そこの空気を思いっきり吸うことはできない。

 

 

 

 

良い蔵元には良い「家付き酵母」というのがいるらしい。

 

長い間、建屋に住み着いている酵母で、それがそこで作られる味噌や醤油の風味を決めるという。

 

歴史ある学校や塾には、この「家付き酵母」が住み着いているのではないだろうか。

 

教育理念などに共感する生徒が集まり、

 

年月を重ねていくことで、独自の空気感が醸成され、

 

「伝統」とか「カラー」と呼ばれるようになる。

 

学校や塾にある独自の空気感は、蔵元に住み着く「家付き酵母」とよく似ている。

 

 

学校や塾を選ぶときには、卒業生や在校生から話を聞いてみるといい。

 

実際に足を運んで、在校生や教員から話を聞くこともおススメだ。

 

味噌や醤油で言うところの「味見」である。

 

そこに住み着いてる、「家付き酵母」があるのならば、それを感じるだろう。

 

味見をして、おいしいと感じるのならば、

 

そこはきっと居心地の良い場所になるだろう。

 

 

 

 

最後に、大切なことをひとつ。

 

昔ならば、家庭や地域社会が果たしていたことが、

 

現在では果たされていないことが多くなってきている。

 

兄弟の数が少なくなったし、

 

共働きも多くなっている。

 

地域の結びつきが弱くなっているし、

 

近所の大人も昔ほど他人の子に干渉しなくなった。

 

当たり前だが、学校に教育の全てを求めることはできない。

 

だからこそ、その生徒には何が足りなくて、

 

何を求めるのかを考える必要があるのだ。

 

本当の意味での学校選びは、

 

自分の必要とする教育が何なのかが明確になってこそ可能になる

 

必要とするものが「高学歴」ならば、進学実績の高い学校を選べばいい。

 

「国際教育」ならば、留学制度やスーパーグローバルハイスクールの指定校などで選べばいい。

 

「男らしさ・女らしさ」ならば、男子校・女子高を選べばいい。

 

その他いろいろあるが、

 

自分の必要とする教育が分かっていないのに、

 

学校の良し悪しを語ることはできないはずだ。

 

なぜならば、万人にとって良い学校は存在しないからだ。

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