私塾の志

1842年に吉田松陰の叔父、玉木文之進が

 

八畳一間の私塾を開き、

 

松下村塾と名付け、

 

少年だった松陰も入門した。

 

文之進の指導は非常に厳格なもので、

 

松陰が授業中、顔にとまった蚊を払って殴られた話が伝わる。

 

 

 

藩校明倫館は士分と認められた者しか入学できず、

 

町・農民はもちろん(卒族)、軽輩と呼ばれた足軽・中間なども入学できなかった。

 

1857年より、藩校明倫館の塾頭を務めていた吉田松陰が

 

同塾を引き継いだ。

 

名簿は現存しないが、当時の塾生は約50名ほどいた。

 

しかし吉田松陰が教えた期間は実質2年4カ月。

 

明倫館とは対照的に、門下には町民や農民の子もいた。

 

なぜ短期間で逸材が育ち、

 

日本を動かす力になったのか。

 

当時27歳の松陰は“草莽崛起”の思想を持っていた。

 

“時代を変革するのは支配層ではなく庶民”との意味。

 

その思想に惹かれ、人材が集ってきたのだろう。

 

 

辻本塾がオープンから半年少々が経過した。

 

松下村塾のようにはいかないが、

 

学力向上だけでなく、

 

世の中で生きていく力の根っこの部分の

 

根性のようなものも

 

鍛えていけるような塾でありたいと思う。

 

生徒たちの人生の多感な一時期を

 

共に悩み、共に苦労しながら、共に成長の道を歩んでいきたい。

 

一人ひとりにドラマがある。

 

そのドラマの制作に

 

一役買うことができるのならば、

 

それはとても責任重大で、

 

とてもやりがいのある仕事なのだ。

 

これが塾の仕事の醍醐味であり、

 

これだから塾の仕事はやめられない。

 

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