うちの塾の近くにある

 

小中学校の前の田んぼでは

 

米の収穫が始まっていた。

 

今年も実りの秋がやってきた。

 

 

 

農林水産省のホームページを見ていたら、

 

新米の定義が目にとまった。

 

【新米の表示は、食品表示法の規定にある食品表示基準では、

 

1.原料玄米が生産された当該年の12月31日までに

 

容器に入れられ、若しくは包装された玄米

 

2.原料玄米が生産された当該年の12月31日までに精白され、

 

容器に入れられ、若しくは包装された玄米であれば「新米」と表示できます。】

 

ということらしい。

 

つまり、年が明けて、新米の表示があるとすれば、

 

それは前年に精米した古いコメということだ。

 

 

 

別のページを見ていると、都道府県別の米の生産上位が出てきた。

https://www.maff.go.jp/j/kids/crops/rice/farm.html#:~:text=%E7%B1%B3%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%AE%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%EF%BC%88%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%8C%E3%81%9F,%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89%E3%81%AF8%2C607%2C000t%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

 

やはり新潟と北海道のツートップだ。

 

しかし、ご存じだろうか。

 

かつて日本政府が、北海道での稲栽培を不可能と考え、

 

畑作を強制したことを。

 

北海道北広島市には「寒地稲作発祥の地」を記念する石碑がある。

 

1873年、中山久蔵が赤毛種を用いた稲の栽培に成功したことを記念するものだ。

 

その後、彼は種もみを無償で提供し、

 

北海道の稲作の普及に尽力。「寒地稲作の父」と仰がれる。

 

もともと農業には全くの素人で、

 

開拓使からは侮蔑的な言葉も浴びせられた。

 

日本政府は北海道での稲栽培を“不可能”と考え、

 

畑作を強制したが、久蔵は諦めない。

 

 

深夜、風呂の残り湯を苗代に運び、

 

水温を上げるなど、必死の努力を続けた。

 

3年目、執念は実を結び、

 

石狩・空知地方へと米作りは広がっていった。

 

 

だれが何と言おうと、今に見ていろ、絶対に成し遂げてみせる!

 

この執念を貫いた人が“最後の勝利”をもたらすということを

 

久蔵は教えてくれた。

 

自ら決めた目標は、何が何でも実現せずにおくものか。

 

「執念」とも呼べる気迫があれば、不可能といわれたことすら可能にできたのだ。

 

 

 

小中学生の学習や受験だって、

 

ムリだと思えるようなことだって、

 

成し遂げることはできるはず。

 

やればできる・かならずできる・ぜったいできる!

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