死について考える
軽々しく口にするものではないと言われることばだが、
人というのは、幼いころからずっと、
死について考えているものだ。
遠く近くの、さまざまな死に出合うし、
死というものの不可解さを考える機会はいくらでもある。
「どうして死んじゃったの?」という問いに対して、
その「どうして」のところを答えるのは、とても難しい。
どうしてという「原因」ならわかりそうだけれど、
どうしてという「理由」はないのだ。
「どうして生まれたの?」への答えも同じことだ。
生まれて、死ぬ。
そういうふうにできている。
できるだけ、そういうふうに考えるようにしているが、
死のことを、もう考えなくていいとは、
どうしても思えない。
小中学生を対象にしているの塾のブログで「死」について書くのはすこし抵抗がある。
人生100年時代と呼ばれているこの時代、
今の小中学生は生きて22世紀を迎えることができるだろう。
まだまだ人生これからだ。
小中学生のころは
大人になるのさえ、はるか先のことだ。
人生が永遠に続くものじゃないかと錯覚してしまうほどだ。
だからこそ
人生にはじまりがあり、そして終わりのあることを
教えなければいけないと思う。
今この瞬間だって
確実に終わりに向かって進んでいる。
逆戻りはできない。
限られた人生の時間だからこそ
有意義に使おうと考えるのではないか。
今と言う人生の一点だけを考えていたら
楽しいことだけやっていればいいように思える。
でも、人生の時間は確実に流れていく。
子どもたちは成長し
いずれ自分の力で生きていかなければならなくなる。
そして、次の世代を育てていく役割を担うようになる。
その時に必要になるものは
今から準備しておかなければいけないだろう。
周囲の大人たちが子どもたちに日々言っていることは
まさにそのことなのだ。
死について正確に分かっている人はいない。
でも、
だからこそタブーにせずに話してみることで
今をしっかりと生きていくことができるのだと思う。