塾
米沢藩主・上杉鷹山の師匠でもあった江戸時代の儒学者・細井平洲は
私塾・嚶鳴館を開き
多くの人材を世に輩出した教育者でもあった。
入門に当たっては
武士だけでなく
広く庶民にも門戸を開いた。
教育の機会をすべての人々に開放した平洲は
「教学の道はまづ良師を求め、良友を撰み申す事」
と述べている。
身分の違いを超えて
互いに高め合う友が
同じ師匠のひざ元に学ぶ。
これが、平洲の理想とした教育の在り方だった。
教育に王道はないのだが
人が人を教えていくというスタイルは
古今東西変わらない。
「嚶鳴」とは元来、中国最古の詩集「詩経」に出てくる言葉だ。
鳥が仲間を求めて鳴き交う意味だ。
仲間と楽しく、そして励ましの声を掛け合いながら
共々に前進していきたい。
体験生、受付中。