二人の天才に学ぶ
トーマス・エジソンは蓄音機や白熱電球や映画などの発明で知られている。
ニコラ・テスラは
電気の魔術師ともてはやされながら
その後忘れ去られたセルビア人だ。
近年テスラの復権が進み
磁場の国際単位として
大数学者ガウスに代わり
その名が採用されている。
テスラと発明王エジソンは互いに同時代を生きた発明家として
交流対直流という電力戦争を繰り広げたが
1915年には、テスラとエジソンはノーベル物理学賞同時受賞との
ニューヨークタイムズ紙の事前報道で世間を驚かせた。
しかし、結局両者とも受賞には至らず
数々の両者をめぐる人間臭い風聞が生まれた。
「天才は1%のインスピレーションと99%の努力である」
というエジソンの言葉が人口に膾炙している。
これに対して、エジソンの会社で働いていたテスラは、
「エジソンが干草の山から針を一本見つけようとすると
やおら麦藁を一本一本丹念に調べはじめ
探しているものが見つかるまでミツバチのような勤勉さで働き続ける。
私ならほんのわずかな理論と計算とで
エジソンの労力の90%が節約できるので
そのような行動を気の毒に思いながら見ていた」ともいっている。
これを聞いてどう思われるだろうか。
テスラはエジソンに一種の不満を持っていたのだと思う。
エジソンはまさに「必要は発明の母」を地で行く実務家であり
世の求めを先取りし
ふつふつと湧き上がるアイディアを既存の技術に注ぎ込み
発明品として仕立て上げるアイディアマンだった。
一方、テスラは豊かな構想力をもとに
学術的にしっかりと一からの積み上げで
体系的に思考し
将来展開できるような基礎を発明として世に問うた。
エジソンのように既存の技術の工夫や組み合わせによって
目の前にあるニーズを矢継ぎ早に満たしていくことも重要ではあるが
長い目で見ると
基礎を持たないアドホックなやり方は
先細りしてしまうおそれが高いともいえよう。
イノベーションというのは本来テスラのように
強固な基礎を築いてこそ、将来の大きな展開が可能となるものだ。
これからの社会においては
予想もできない様々な問題に直面することになる。
そこではエジソンとテスラのどちらのアプローチが正しいかはわからない。
場合によってはその両方を同時に行う必要があるのかもしれない。
いずれにせよ、次のように考えていいと思う。
高度な専門知識を修め、
その分野の最先端までたどりついて、
新しいものを切り拓いたプロセスとそれを実現させた志と力量があれば、
新たな領域においても
その経験が自信と指針となって道は拓けるのだ。
これが研究によって己を磨く高等教育の力であろうかと思う。