バイクのグラブ

私は2年前にバイクの免許(中免)を取って、バイクに乗っている。

 

ご存じの通り、バイクに乗る際は「グラブ」が必要だ。

 

教習所も、グラブがなければバイクに乗せてくれない。

 

人間は転倒の際は、本能的に「手のひら」を地面につけるから

 

グラブをしていないと、手のひらが大変なことになってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

私にとって良いバイクのグラブは使い始めた頃は手に馴染みにくいので使いにくい。

 

最初から柔らかいほうが、手に馴染んでよい気するだろう。

 

しかし、そうではないと私は思う。

 

そういうグラブは最初はいいのだけれども

 

使っているうちに何だか頼りない感じが出てくる。

 

常時こすれるような手のひらの部分が薄くなっていくのを感じる。

 

「手の保護」というグラブの本来の目的から離れていくのだ。

 

むしろ、使い始めはかなり硬めの方が

 

なぜかいい感じにしっくりとくる。

 

でも、硬いレザーの場合は、使い始めが大変だ。

 

アクセルを回し、ブレーキやクラッチを操作していると

 

もう大変だ。フィットしないから、グラブの内側が擦れるし。

 

でも、しばらく使っているうちに、グラブが自分の手の形状にぴったりになる。

 

そうなると自分に合った本当に使いやすくて安心感のあるグラブに変貌する。

 

 

 

 

 

このことは勉強にも、人生にも当てはまるんじゃないかなって思う。

 

最初は取っつきにくい・難しいと思っていたけれど

 

あきらめずに努力して取り組んでいると

 

いつの間にか自分にとって

 

とても大切な存在・愛しい存在に変わってゆく。

 

使っていて信頼できる。

 

逆に当初から親しみやすく感じていたものは

 

しばらく付き合ってみると

 

どうも底の浅いところがあるのが目に付いてきて

 

使い物にならないと判断せざるを得なくなる。

 

最初はむずかしくていやだなと思っていた授業や問題集が

 

実は一番自分のためになるということがある。

 

一定の努力を注いだ人だけに、

 

授業や問題集が見せてくれる実力と魅力がある。

 

私が駆け出しの塾講師だったときに先輩がこう教えてくれた。

 

「私は話術が巧みでとても楽しい授業はできない。

 

でも、あとから振り返ってみて

 

今の自分の役立っていると思ってもらえる授業を目指している」と。

 

うちの塾では、小学生が多いので

 

早く終わらないかな思えるような苦痛な授業はしていてはいけないと自覚しているけれど

 

楽しいとか簡単だけで勉強は終わらせない。

 

子どもたちは、今は難しくとも、諦めることなくしっかり取り組まねばならないということを

 

経験する必要があると私は思っている。

 

バイクのグラブのように。

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