アリとキリギリス
ご存じイソップ物語の「アリとキリギリス」。
冬がやってくる前に
アリが汗水ながして餌を巣に運んでいるとき
近くの草むらでは
キリギリスが楽しく歌っていました。
「アリさん、アリさん,なぜそんなにいっしょうけんめい働いているの。
まだまだ冬はやって来ませんよ」とキリギリスが言うと
「やがて冬がくるんだよ。その時困らないためさ」
とアリは言いながら熱心に働き続けました。
いつしか季節は寒い冬になりました。
野の草は枯れ、キリギリスは食べるものがなくなってしまい
餌を求めてアリの所へやってきました。
「アリさん、 何か食べるものを分けてもらえませんか」
とキリギリスが言うと、
「それは、 お困りでしょう。どうぞお入り下さい」
とアリは言い
キリギリスを暖かい部屋へ招き入れ
食事を与えてやりました。
アリとキリギリスの話は
人間は働かなければならないときは
よく働くことが大切であり
怠けていてはその報いを受けるという
「備えあれば憂いなし」の教訓を説いている。
私が子どものころは
「いま必死で勉強しておけば、後から苦労しないで済む」
「いい大学、いい会社に入って、いい生活を得るためには、子どものうちが勝負だ」
「将来のために、今を犠牲にするんだ」
と考えている人が大半だったと思う。
アリの生き方は
「いい会社で定年まで勤めあげ、
老後は子どもや孫に囲まれて
のんびりと楽しい余生を送る」という
まさに昔ながらの日本のサラリーマン像が重なって見える。
また、キリギリスの「歌いたいときに歌い、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
自分の好きなように生きるのだ」という姿勢は、「悪」とされてきた。
ところで、アリとキリギリスの話は
日本では「親切なアリは、キリギリスに食べ物を与えてやりました」
というハッピー・エンドになっているが
日本と同じハッピー・エンドになっているのはスペインだけで
他はすべて「アリはキリギリスが飢えて死ぬのを待って、
その死体を全部食べてしまいました」になっている。
欧米では、「弱肉強食」という生存競争の厳しさを教訓としている。
国境を接し、隣国と緊張感を保たざるを得ない歴史と風土が
そうさせているのだろうか。
最近は、このアリとキリギリスに別のエンディングが創作されている。
こんな感じだ。
冬になって食べ物に困ったキリギリスは
音楽会を開くことを考えた。
そこで、アリの家を訪ねて
音楽会のチケットを買ってもらい
その収入で冬を過ごすことができました。
アリたちも寒い冬の間、
キリギリスの美しい音楽に大満足でした。
夏の間、ただ遊んでいたのではなく
しっかり音楽の勉強をしていたのです。
みんな同じでなくていい
自分らしく生きていこうという
現代の価値観を反映したエンディングだ。
もっとたくさんのパターンがあってもいいと思う。
ただし、ハッピーエンドであってほしい。
どうせなら
アリの勤勉さも
キリギリスの才能も
どちらも手に入れて
自分の道を歩んでいってほしい。