難しいコトバ

いつの時代も、権威・権力を誇示しようとする者は、

 

“威厳”などという鎧で自らを飾り、他を寄せつけない。

 

学問の世界などでは、

 

大事なことは、

 

難しい言葉で書かれているのが

 

普通ではないだろうか。

 

法律の条文などはその代表例とも言えよう。

 

法律の中の頂点にある法律「憲法」。

 

草案が発表された1946年当時、

 

日本のすべての法令は文語体の記述だった。

 

これを口語にしようとなった時、

 

当然のことながら、

 

反対勢力があらわれた。

 

しかし、

 

口語化に積極的だった判事の三宅正太郎氏は、

 

文語派の「威厳があり含蓄がある」との主張を敢然と論破した。

 

一般の人が分からず、

 

権力を持つ者だけが解釈の鍵を持ち、

 

それを国民に押しつける危険は懲り懲りだ――と。

 

戦後日本の変革期の空気の中で、

 

憲法の「口語化」は実現した。

 

1995年に刑法が、2005年に商法が、

 

ようやく口語表記になったことを思うと、

 

実に画期的な出来事だ。

 

 

 

 

なぜ、難しく表記するのか、

 

憲法改正時の、文語派の主張が分かりやすい。

 

世の中には、

 

まだまだ、難しく書かれている大事なことが沢山ある。

 

というよりも、大切なことの多くは難しく書かれている。

 

 

 

 

中1生は歴史を学習している。

 

メソポタミア文明がくさび形文字、

 

中国文明が甲骨文字、

 

エジプト文明は象形文字というように用語を暗記する。

 

 

Googleが象形文字を自動翻訳できるようにしたと話題になっていたが、

 

 

ヒエログラフを学習するものは

 

ごく限られた高い経歴をもつ者に限られていたし、

 

また、一般の民衆には簡単に読み書きが不可能であるように、

 

文字や文法も故意に複雑化されたからだ。

 

 

 

学ぶということは、

 

権力者の悪用を見破るという意味でも

 

とても重要なことであり、

 

誰かがやってくれるだろうと

 

考えたら、

 

それこそ思うつぼなのだ。

 

 

 

 

 

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