選択

コロンビア大学のS・アイエンガー教授は何十年もの間、

人間の「選択」に関する研究を行ってきました。

自身が3歳の時、遺伝性の目の病気と診断されました。

両親は厳格なシーク教徒で、

その世界では結婚は親が決めるものであり、

さらに服装や食事に至るまで、

多くのことが慣習で決められています。

“全ては運命によって定められる”

との宗教的文化の中で育ちました。

そういう境遇の彼女にとって、

「選択」できること自体が、

素晴らしいものに思えたのでしょう。

そして大学進学後、本格的に「選択」の研究を開始します。

 

彼女の人生と研究は教えます。――選択肢が多いほど、幸福とは限らない。

限られた選択肢しかなくても、

それを最大に生かそうと努力するなかで、

人生の充実は得られる。

大事なことは、人生を「自ら選択した」と思えるかどうかなのだ、と。

 

 

世界的に有名な料理人、

三国清三さんの生き方はまさにそのことを証明しています。

以下,三國さんのインタビュー内容をごらんください。

「故郷の北海道増毛は、港町。

かつてはニシン漁が盛んでしたが、

僕が生まれたころに漁獲量が激減してしまいましてね。

うちは父が漁師で母が農業を営んでいたのですが、

暮らしに余裕はなく、僕も小学生時代から家の仕事を手伝っていました。

父が手こぎ船で採ったアワビやウニを料亭などに売りに行ったり、

畑仕事で忙しい母にかわって家族の食事を作ったり。

忙しくて、学校も休みがちでした。

高校には行きたかったのですが、

経済的に無理でした。

同級生で進学できなかったのは、

僕ともう一人だけです。

「どこに、どんな家庭に生まれるかが全てだな。

生まれは選べない。この世に神様なんかいない」

そう思って生きてきました。

学歴がないから、

手に職をつけるしか道がない。

料理人になれば、

どんなに貧乏でも「食いっぱぐれ」だけはないと考えました。

それで、中学卒業後は親元を離れ、

住み込みで札幌の米店で働きながら、

夜間の調理師学校に通うことにしたんです。

その米店のお姉さんが作ってくれたまかないで、

生まれて初めてハンバーグを食べましてね。

あまりのおいしさに目を見張りました。

というのも、それまで素材そのもののシンプルな味は知っていても、

肉の「すり身」なんて想像したこともなかった。

しかも、上にかかっているソースをなめてみると、

甘酸っぱかったんです。

甘いだけでも酸っぱいだけでもない

複雑な味を知って衝撃を受けたわけです。

15歳から札幌グランドホテルで働き始めたのも、

そのお姉さんから「ここのハンバーグは死ぬ程おいしいのよ」

と聞いたのがきっかけなんですよ。

「死ぬ程」とまで言われる味をどうしても知りたかったんです。

中卒の正社員採用はなく、

直談判してパートタイムで雇ってもらいましたが、

仕事は従業員用の飯炊きで17時まで。

厨房(ちゅうぼう)にも立てません。

そこで、ホテルの社員の方にお願いし、

夜は宴会で汚れた食器を洗わせてもらうようになりました。

山のような食器を洗いますから、

最初は夜中までかかりました。

でも、「21時までには終わらせよう」

「20時までには」と頑張っているうちに、

要領がよくなってきましてね。

先輩たちが調理を終えるころには

洗い場をピカピカの状態にできるようになりました。

それを半年間続けていたら、

ある日人事課に呼ばれて、

「明日から、正社員だから」と言われたんです。

このときに配属されたのが、

フランス料理のレストラン。

どのメニューも初めて見るものばかりでしたが、

毎日明け方まで練習していましたから、

18歳になるころには

料理長の代理としてワゴンサービスまで任されるようになりました。

「料理の世界もこんなものか」

と天狗(てんぐ)になっていたとき、

先輩から「お前、いい気になるな。

東京の帝国ホテルには

村上信夫さんというフランス料理の神様がいる。

上には上があるんだぞ」と釘を刺されました。

僕は貧乏な家に生まれて

「神様なんていない」と思っていましたから、

「神様」という言葉に敏感に反応しまして。

その「神様」に一度会ってみたいと、

札幌グランドホテルの総料理長に書いてもらった

紹介状だけを携えて上京したんです。

ところが、帝国ホテルでは

パートタイムの洗い場の仕事に逆戻り。

鍋や食器を洗い続けながら、

先輩たちの技を目で盗み、

厨房に立つ機会を待ちましたが、

帝国ホテルには料理人だけで600人。

チャンスが巡ってこないまま2年が経ち、

20歳を機に料理人を辞めようとまで思いました。

そこで、辞める前にホテル内の18店舗すべての鍋をきれいに洗って、

自分の気持ちに区切りをつけようと、

1つずつレストランを回り始めたんです。

村上さんから呼び出されたのは、そんなとき。

「もうあきらめて帰れ」と言われるとばかり思っていましたから、

村上さんに「社長からねえ、600人の従業員の中で、

いちばん腕がよくて、いちばん根性のあるひとを、

スイス、ジュネーブの日本大使館の料理長に

推薦してくださいって頼まれた。

すぐに準備しなさい」

と在スイス日本大使館付きの料理長のお話を頂いたときには、

それはびっくりしました。

抜擢の理由をうかがったのは、

それから20年以上経ってから。

村上さんは僕の塩の振り方を見て

勘がいいと認めてくださったそうです。

真剣にやっていれば、

必ず誰かが見ている。

仕事というのはそういう側面もあると思います。」

 

 

 

仕事でも進路でも

選択肢が多ければ多いにこしたことはありません。

たくさんの中から好みを選べるのだから。

でも、

選択肢が多いことが

成功につながることはありません。

 

三国さんだけが特別な例ではないでしょう。

今いる場所で

当事者意識を持ちながら

精一杯のことをやり続けていれば

楽しさも味わうことができるだけでなく

高評価もされるだろう。

今年最後の月を精一杯過ごしていきましょう。

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