自分にピッタリ合った〇〇

自分にピッタリ合った靴を探そう。

 

これはきっと見つかる。

 

自分にピッタリ合った洋服はどうだろうか。

 

これも試着をしているうちに見つかるだろう。

 

それでは

 

自分にピッタリ合った学校はどうだろうか。

 

同じように

 

自分にピッタリ合った仕事もどうだろうか。

 

自分の適性に合った仕事に就くべきだとか

 

自分の個性に合った学校に行くべきだとか

 

当然のように言われるが

 

そんなものは

 

本当にあるのだろうか。

 

私は懐疑派だ。

 

 

「天職」とは、辞書には、その人の性質や能力にふさわしい職業とある。

 

天職のことを英語ではcallingやvocationというが、

 

どちらも原義は「呼ばれること」だ。

 

だれかに呼ばれて「これをやってほしい」と頼まれることがあるだろう。

 

その頼まれたことが、あなたを呼んでいる仕事なのだ。

 

私たちは自分にどんな適性や潜在能力があるなんてわからない。

 

頼まれるということは、

 

誰かから「できる」と判断されたわけで、

 

自己評価よりも当てになる。

 

天職とは最初はその程度のものなのだ。

 

 

 

キャリアのドアには、ドアノブがついていない。

 

キャリアのドアは自分で開けるものではない。

 

向こうから開くのを待つものだ。

 

そして、ドアが開いたら

 

ためらわずにそこに踏み込んでいくことだ。

 

 

 

これはキャリアに限った話ではないだろう。

 

新しい環境全般に言えるのではないか。

 

新しい学校、新しいクラス、部活動、委員会などなど。

 

もちろん進路も。

 

安心して

 

自信をもって

 

飛び込んでいくための

 

キモチづくりの場が

 

説明会や見学会、個別相談会なのだ。

 

 

この冬のおわりに

 

受験生にはどこかのドアが開くことになる。

 

ドアが開いたら

 

ためらわずに踏み込んでいこう。

 

今はそのための準備を万全に整えておく時期だ。

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