終戦の日

今日は終戦の日。

記憶のバトンを渡していく日。

 

文字でもいい。

映像でもいい。

写真でもいい。

しっかりと記憶の中で生き続けているかぎり、戦争は絶対悪であり続ける。

戦争ほど残酷で悲惨なものはない。

 

今日は、思いを寄せ、平和への祈りを新たにする日。

記憶ってのは、ちゃんと思いだしてあげないと、消えてなくなってしまうからね。

 

これは写真のバトン。

写真は2017年にローマ法王が「戦争が生み出したもの」と配布を指示したという焼き場に立つ少年の写真。

悲しすぎて、言葉がでてこない。

 

 

以下、この写真を撮影したアメリカ人カメラマンのインタビューより。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

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