目力

人間国宝、桂米朝師が日頃語っていたのは

 

「落語は演者が消えんとあかん」ということだ。

 

つまり演者の説明ではなく

 

登場人物の「対話」や「しぐさ」だけで

 

状況を観衆に分かってもらわねばならない。

 

名人・上手となると

 

視線だけで

 

登場人物の職業

 

複数の人物の間の距離

 

部屋の間取りまで表現できる。

 

 

 

 

 

「一文笛」というネタで

 

米朝師は

 

登場人物の視線だけで

 

路地裏の長屋の狭さ

 

貧しい生活ぶりを表現していた。

 

まだ悲しい場面でもないのに

 

ハンカチを目にあてている人がいた。

 

 

 

 

 

 

なんという圧倒的な「目力」!

 

 

 

 

 

 

 

「何人もの先達の名人たちの努力

 

そしてその芸が分かってくれるお客さんに

 

何十年何百年とはぐくまれて

 

落語という芸は磨かれていくんです。

 

そこに参加できる喜びでんなぁ。

 

長いこと、続けてられるのは」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

授業でも「目力」はとても大切だ。

 

緊張感を演出したり

 

ホッと一息つかせてみたり

 

ここぞという時には

 

みんなの気持ちを引き付けたり

 

ことばよりも

 

目力が役に立つ。

 

 

 

 

 

 

AIを使った学習も悪くない。

 

オンラインで授業を受けるのも

 

とても便利だ。

 

でも

 

圧倒的に引き込まれていくのは

 

対面の授業。

 

授業内容も

 

教師としての存在感も

 

桂米朝師のように

 

圧倒的になれるように

 

磨き続けて

 

昇進していきたい。

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