悲喜こもごも

悲喜こもごも」という言葉がある。

 

この言葉はよく誤って使われることがある。

 

「合格して大喜びする者、

 

不合格にガックリと肩を落として悲しむ者、

 

悲喜こもごもの光景だ。」

 

上記の使い方は、よくある誤りだ。

 

悲喜こもごもの正しい使い方は、

 

多人数ではなく、1人の人間の心境について用いるのだ。

 

ひとりの人間が、喜びや悲しみを交互に、

 

または同時に味わうことを表す言葉なのだ。

 

嬉しいことばかりの人生なんて存在しないだろう。

 

悲しいことばかりの人生も存在しないだろう。

 

よいことがあれば悪いこともある。

 

みんな悲喜こもごもの人生なのだ。

 

 

 

志望校に合格した人は、

 

祝福されているような独特の気持ちを味わっていることだろう。

 

志望校に不合格だった人は、

 

世界で一番不幸な人の気持ちになっているかもしれない。

 

何を言われても、慰めにはならないかもしれないけれど

 

すぐに分かることがある。

 

悲喜こもごもだってことを。

 

 

 

「サヨナラ」は「別れのことば」じゃなくて

 

「再び会うまでの遠い約束」

 

って歌があった。

 

同じサヨナラという言葉でも

 

考えかたを変えると

 

全く違った意味を持つということだろう。

 

 

別れの言葉だったとしたら悲しいだけじゃないか。

 

悲しすぎて

 

サヨナラの場所から動けなくなってしまうかもしれない。

 

過去を振り返りながら現在を過ごすことになってしまう。

 

でも、再び会うまでの遠い約束ならば、

 

再び会う未来志向でいけるじゃないか。

 

 

 

人生の中には何度か

 

昨日までの普通が普通じゃなくなる日が訪れる。

 

たいていは自分の意志とは無関係に訪れる。

 

 

 

ぽっかりと心に穴が開いた感覚。

 

自分の無力さに情けなくなる感覚。

 

悪いことだけを考えて絶望する感覚。

 

自分以外のみんなが幸福に思える感覚。

 

 

時にはそのような感情に包まれてしまうかもしれない。

 

昨日までの普通が

 

普通でなくなる

 

そんな日には

 

過去に戻りたくなってしまうかもしれない。

 

だからこそ、

 

その逆の

 

未来の自分に約束するんだ。

 

見てろよ

 

きっと。

 

 

 

 

そんな風に思っているうちに

 

痛みが

 

消えていくんだよ。

 

 

 

 

 

誰も

 

強くはないけど

 

強くありたいと思う人は

 

成長できる。

 

 

 

そういうときは

 

実は

 

ものすごく成長できるチャンスでもある。

 

 

 

 

悔しい時には

 

おもいっきり

 

悔しがらなければいけない。

 

今後、自分の弱さが顔を出したときに、

 

こう言うんだ。

 

「あの悔しさを忘れてしまったのか?」って。

 

だから、今日は思いっきり悔しがらなければいけない。

 

 

 

うれしいことがあったら

 

思いっきり喜ばなければいけない、

 

いつまでも浸っていては

 

せっかくの喜びも、害になる。

 

 

 

どちらにしても

 

過去との決別の儀式

 

思いっきりじゃなければ

 

きっぱりと決別できないからね。

 

 

 

それが済んだら、

 

そのことは

 

もう過去のことだ。

 

 

 

 

その瞬間から

 

未来を見つめよう。

 

そして

 

歩き出そう。

 

 

 

人生、悲喜こもごもだから。

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