ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 

現代語に直してみると、流れる川の流れは絶え間ないが、

 

しかし、その水はもとの水ではない、

 

と言う意味です。

 

「三大随筆」の一つといわれ、

 

清少納言の「枕草子」、

 

兼好法師の「徒然草」と並び称される、

 

鴨長明の方丈記の書き出しです。

 

川辺に立って、川の流れをながめてみると、

 

常に同じように水が流れています。

 

でも、目の前にあるのは常に同じ水ではないのです。

 

さっきまで目の前にあった水は

 

もう流れ去って行ってしまったのです。

 

川は源流から流れ出し

 

中流へそして下流へ流れていき、

 

最後には海に注ぐのです。

 

 

時間も川と同じように、「流れる」と言います。

 

「時の流れに身をまかせ」

 

というタイトルの歌が前に流行しました。

 

いい歌でしたね。

 

さて、1年前に始まった2019年。

 

そこから1年時が流れていきました。

 

そして、また新年がやってきます。

 

ご注意してもらいたいのは、

 

この新年は昨年と同じものではないということです。

 

私たちはわかりやすくするために、

 

時間に名前をつけます。

 

何年、何月、何日や季節もそうですね。

 

だから、時間がグルリと回って

 

戻ってきたような錯覚をします。

 

昨年と同じ時がやってきたと考えてしまうのです。

 

しかし、今年の新年は昨年の新年とは全く違うのです。

 

時間は戻ってはこないのです。

 

川も時間も流れる方向は常に一方通行であり、

 

流れ去ったら決して元には戻らないのです。

 

時間が繰り返すものだと錯覚していると、

 

「また次のチャンスでやればいいさ」

 

なんて思ってしまいます。

 

空から川を見ている自分を想像してみてください。

 

地上には川が見えます。

 

流れの始まりを見つけてください。

 

山地に源流が見つかるでしょう。

 

そこから流れをたどってください。

 

徐々に川幅が広がっていきますね。

 

下流に近づくにつれて、

 

流れも緩やかになっていきます。

 

潮の香りが漂ってくると、

 

川の流れもいよいよ終わりが近づいてきて、

 

最後には海へと流れ注いでいきます。

 

 

 

いま見えたのは人生という時の流れの川です。

 

はじまりも終わりもあり、

 

人生には限りがあります。

 

そして川の流れのように時間は決して戻らない。

 

時間は貴重なものです。

 

だから先人たちが時間に目に見えない刻みをつけたのです。

 

あなたの人生という川のほとりには、

 

等間隔で刻みが見つかるでしょう。

 

4月とか春とか書いてありますね。

 

少し上から見てみると、

 

その刻みが繰り返されていることが分かります。

 

もっと上から見てみると、

 

何十回もいや百回以上繰り返されていることに気づくでしょう。

 

でも、刻みの名前が同じでも、

 

全く別の場所であることが、

 

上から見るとよく分かりますね。

 

何もしなくても時だけが流れていきます。

 

人生という川全体ののどの辺に今の自分がいるのかを考えてください。

 

そして、その流れのどこにたどりつくまでに

 

どのような結果を出すべきかを考えてください。

 

そんなにのんびりとはできないでしょう。

 

 

19世紀を代表するロシアの文豪トルストイはこう言いました。

 

「流れ進むのはわれわれであって、時ではない。」

 

たしかに、自分が動かなければ何も始まりませんね。

 

 

 

ライバルの語源はラテン語の「川」にあります。

 

「同じ川を利用する2人」を指しています。

 

競い合い、励まし合い、尊敬し合えるライバルがいる。

 

そんな人生はいいですね。

 

うちの塾もそんな教室でありたいと思います。

 

来年もどうぞよろしくお願いします。

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