対話

どのような言葉にふれるかは、

 

私たちの人生と人格に大きな影響を与える」とは、

 

批評家・若松英輔氏の言葉だ。

 

若松氏は、話す行為について次の三つを挙げる。

 

一人で行う「独話」。

 

誰かと言葉を交わす「会話」。

 

そして、深いところでつながりながら、

 

言葉や経験の深みを探る「対話」である。

 

多くの言葉を交わしても、互いの呼吸が合わなければ

 

「会話」にとどまる。

 

一方、「対話」は、自分の言いたいことを話すのではなく

 

「相手の『おもい』を受け止めたところに始まる」と氏は言う。

 

さらに対話で人が伝えたい「おもい」とは、

 

言葉にできる「思い」や「想い」だけではなく

 

「言葉にならない『念い』なのではあるまいか」とも。

 

 

 

 

対話の中で、相手が話してくれる「心情」が、

 

常に偽りなき「真情」とは限らない。

 

遠慮したり、相手に合わせたりして話しているかもしれない。

 

心を開いてもらうには、まず自分がありのままを心掛け、

 

繕わないこと。

 

言葉の巧拙よりも、相手の幸福と成長を「念う」ことだろう。

 

 

 

保護者面談や生徒面談はもちろん、行き帰りの短い時間の中で

 

「対話」ができるように心がけていきたい。

 

 

 

 

 

さて、話は変わってラッコの話。

 

昨日の小学生の授業中、ラッコがテキストに出てきた。

 

「ラッコが貝を割るって知っている」とたずねると

 

「知らない」とのこと。

 

じゃあ見てみようと動画を見ることに。

 

 

見て初めて気づいたことがあった。

 

私は今まで、おなかに貝を置いて

 

手に石を持っていると考えていたのが

 

実は逆だったのだ。

 

おなかに石を置いて

 

手に貝を持っている。

 

おなかに石を置かず、身近な石に貝をぶつけているラッコもいた。

 

手に貝を持っているのか。

 

確かにそっちのほうがすぐに食べることもできる。

 

道具を使用する人間ならば逆のほうが多そうな気がする。

 

その生徒も初めて見たのだが、お互い勉強になったね。

 

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