善なる言葉

「希望」「勇気」「努力」「継続」といった

 

言葉がいつもうちの塾の中には躍動している。

 

特に新年度などの新たなはじまりのときには。

 

それをやや〝食傷ぎみ″に感じている生徒もいるかもしれない。

 

以下はある父兄の方の体験だ。

 

その方も、そういった「ポジティヴ」な言葉に食傷気味だったそうだ。

 

しかし、その思いが一変したのは

 

しばしの入院生活を送ってからである。

 

病床で目にする励ましの言葉に

 

どれほど勇気づけられたことか。

 

晴れやかな笑顔の写真などに

 

いかに未来への希望がわいたことか。

 

その方は考えた。

 

自己の課題や苦難と真剣に戦う人にこそ

 

励ましの言葉は

 

わが心にまっすぐ届く。

 

今までそういった「ポジティヴ」な言葉を

 

素直に受け止められなかったのは

 

真剣に戦う日々を送っていなかったからだ、と。

 

 

 

 

 

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは

 

〝善なる言葉が力を失っている″と嘆いた。

シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) - Wikipedia

 

高貴さ

 

名誉

 

誠実さ

 

寛大さといった言葉は

 

今や〝疑似的な意味″をもってしまったと指摘した。

 

 

 

 

 

 

ポジティヴな言葉を

 

そのまま受け止めることができないときが

 

あるのならば

 

それは

 

そのように感じてしまう心のゆがみを

 

そのまま反映しているのだ。

 

そんなときは

 

謙虚に

 

反省してみたい。

 

善なる言葉の力を

 

自分の力にできるようにするために。

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