善なる言葉
「希望」「勇気」「努力」「継続」といった
言葉がいつもうちの塾の中には躍動している。
特に新年度などの新たなはじまりのときには。
それをやや〝食傷ぎみ″に感じている生徒もいるかもしれない。
以下はある父兄の方の体験だ。
その方も、そういった「ポジティヴ」な言葉に食傷気味だったそうだ。
しかし、その思いが一変したのは
しばしの入院生活を送ってからである。
病床で目にする励ましの言葉に
どれほど勇気づけられたことか。
晴れやかな笑顔の写真などに
いかに未来への希望がわいたことか。
その方は考えた。
自己の課題や苦難と真剣に戦う人にこそ
励ましの言葉は
わが心にまっすぐ届く。
今までそういった「ポジティヴ」な言葉を
素直に受け止められなかったのは
真剣に戦う日々を送っていなかったからだ、と。
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは
〝善なる言葉が力を失っている″と嘆いた。
徳
高貴さ
名誉
誠実さ
寛大さといった言葉は
今や〝疑似的な意味″をもってしまったと指摘した。
ポジティヴな言葉を
そのまま受け止めることができないときが
あるのならば
それは
そのように感じてしまう心のゆがみを
そのまま反映しているのだ。
そんなときは
謙虚に
反省してみたい。
善なる言葉の力を
自分の力にできるようにするために。