ネクタイの色

塾生と話をしていた。

 

私は、ぱっとネクタイの部分を隠しながら、その塾生に聞いてみた。

 

「今日の先生のネクタイの色は何色だった?」

 

私たちはこの質問の前、数分間くらい会話をしており、

 

その塾生はこちらを見ながらしゃべっていたはずだ。

 

でも、その生徒は私のネクタイの色を覚えていなかった。

 

実は、以前にも同じ質問を別の生徒にしたことがあったのだけれども、

 

その生徒からも正しい答えは出なかった。

 

なぜだろうか?

 

それは、「先生のネクタイの色は何色だろう?」

 

と意識してみていないからだ。

 

つまり、意識してみようとしないと

 

例え目の前にあっても見えないのだ。

 

すなわち脳の中には入っていないということだ。

 

 

 

 

ウェブサイトには便利なものもあり、

 

学校の評判、本の評判、商品の評判などなど

 

様々なものがある。

 

ウェブだけでなく、

 

仲間や友だちの評価も

 

他人から

 

「あの人はこんな人だ」とか

 

「あの人はこんな人だよ」と聞いたりしたことを

 

信じて、自分のものとしていないだろうか。

 

 

 

その価値観は、本当の自分の目で確かめたことなのだろうか。

 

うわさや他人の評価に惑わされないで、

 

自分の目と耳と心で意識して

 

学校や本、商品、そして友人の良さを

 

「見よう・聴こう」とすることで、

 

良いところが見つけられると思う。

 

自分以外の人の評価を自分のものとするのは

 

まったく意味のないことだ。

 

 

 

 

春が近づいてきている。

 

新しい出会いがあるだろう。

 

そして、その先のステージを目指す挑戦者たちの

 

本格的な志望校選択が始まる。

 

意識して「見る」「聴く」ことが大切だ。

 

授業だって、意識していなければ、

 

先ほどの私のネクタイの色のように

 

頭の中に入りさえしないだろう。

 

今日から、意識していきたい。

 

 

 

 

 

 

話は変わって、最近読んだ本の紹介。

 

本の題名は「エデュケーション 大学は私の人生を変えた」

エデュケーション 大学は私の人生を変えた

著者はタラ・ウェストーバーさんは1986年生まれの34歳。

 

自伝ではあるが、著者は現役バリバリの学者であり、

 

現在ハーバード大学公共政策大学院上級研究員。

 

アイダホ州クリフトンで反政府主義を貫くサバイバリストのモルモン教徒の両親のもと、

 

7人兄弟の末っ子として育った。

 

公立学校へは通わせてもらえず、

 

家庭内で科学や医療を否定した偏った教育を受けて育った。

 

父の事業の廃品回収とスクラップの仕事を手伝わされ、

 

危険な作業を強いられた。

 

母は薬草のオイルや軟膏を使った民間療法による助産婦。

 

兄のうちの一人が、大学に入学したことで

 

タラも勉学に対する強い欲求が芽生える。

 

猛勉強のもと自宅学習者(ホームスクーラー)を受け入れるブリガム・ヤング大学へ入学が叶った。

 

だがどの授業も初めて聞く話ばかり。

 

ホロコーストという言葉さえ大学に入るまで知らなかったのだ。

 

最初は勉強の仕方もわからなかったタラが目を瞠るような変貌を遂げていく。

 

ピグマリオンのようだという言葉が作中に出てきたが、

 

単純なシンデレラストーリーではなかった。

 

私は、タイトルを見たとき、

 

大学教育を受けたことによる

 

サクセスストーリーを想像していたが、

 

少し違っていた。

 

全米で400万部を超える大ベストセラーになったそうだが、

 

やはり日本とは宗教観・家族観・教育観が大きく違うからではないかと思う。

 

宗教、家族、教育のどれもが人生において大切なものであり、

 

親の決めたレールではなく、

 

自分で選びつかみ取る生き方、

 

それも現在進行形の生き方をえがいた大作だ。

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