ロバを売りに行く親子
「ロバを売りに行く親子」という寓話をご存じですか?
こんな感じの話です。
『ロバを飼っていた父親とその息子が、そのロバを売りに行くため、町の市場(いちば)へ出かけます。
二人がロバを引きながら町へ向かう道を歩いていると、それを見た人が、
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせず歩いているとはなんてもったいないことだ。」
と言いました。
それを聞いた二人は「なるほど」と思い、父親は息子をロバに乗せて歩き始めます。
しばらく道を行くと別の人が二人の様子を見て、
「元気で健康な若者が楽をしてお父さんを歩かせるなんて、あまりにもひどいじゃないか。」
と言いました。
それを聞いた二人は「なるほど」と思い、今度は父親がロバにまたがり、息子が父親を乗せたロバを引いて町へと歩き出します。
するとまた別の人が二人を見て、
「自分だけ楽をして子どもを歩かせるとは、なんて悪い親なんだ。二人で一緒にロバに乗ればいいだろう。」
と言いました。
二人は「それはそうだな」と思い、二人でロバに乗って市場のある町を目指します。
すると今度は、
「二人もロバに乗るなんてロバがあまりにも重くてかわいそうじゃないか。もっとロバを労わって楽にさせてやればどうか。」
と言う人がいました。
父親と息子はこうすればロバが楽になるだろうと思い、狩りの獲物を運ぶかのように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、二人でロバを担いで歩きます。
しかし、窮屈な姿勢を嫌がったロバが急に暴れだしました。
不運なことに、ロバが暴れだした場所は町に入る直前の橋の上でした。
暴れたロバは川に落ちて流され、そのまま死んでしまいました。』
人の話に耳を傾けるのはいいこと。
でも、人の話に振り回されてはいけない。
咀嚼しなくちゃいけない。
自分の考えを持つ。
その上で人の意見に耳を傾ける。
とはいえ、悩むときは悩む。
そういう時は思い切って人の意見を遮断してみるのもいいのではないか。
ネットやsnsで多数派の意見を調べるのを遮断して、自分の頭で考えてみるといい。
例えば志望校。
他人の勧めを受け入れる場合、
あとで、他人から勧められたという逃げ口上になりかねない。
例えば参考書や勉強法。
多くの受験生が使っているということは、多くの合格者も不合格者も出ているということだ。
人の勧めるものを手あたり次第やるよりも、一つのものを繰り返し繰り返し身に着けるほうがよい。
人生に正解も不正解もない。
自分でやれるだけやって、ダメならまたチャレンジすればいい。
レールとか道とか予め存在しない。
自分が考え、もがいて、歩いていく。振り返ってみると、そこには自分が辿ってきた自分だけの道が存在するのだ。
だから同じ道は2つとない。
誰かの通った道の上を歩くなんて、そんな楽はできないし、たとえできたとしても面白くない。