習い事
小学3年生になった甥っ子が
習い事を始めるという。
今時珍しく、何一つ習い事をしていなかった。
毎日のように習い事をやっている友達も多いのだが
今まではやりたがらなかった。
心境の変化があったのだろう。
習い事を始めたいと自分から言い出したのだという。
しかも、運動系をひとつ、勉強系をひとつ、
ふたつの習い事をやると言い出したらしい。
適性を見つけるとか
上を目指すとか
よい経験をするとか
最初からそんなに多くを求めたり
気合を入れなくてもいい。
楽しんでもらえればそれでいい。
続いてくれたらいいなと思う。
習い事が続くと言えば、
こんな話を思い出した。
日本のマダム・キュリー”と呼ばれる物理学者がいた。
湯浅年子博士。
「自分自身のためでなく科学の進歩のために」の信条で、
生涯を真理の探究に捧げた。
彼女はフランスで、マリー・キュリーの娘婿でありノーベル賞科学者のフレデリック・ジョリオ・キュリー教授に師事。
労苦をいとわぬ研究を、たゆみなく重ねた。
研究中、器具でけがをし、意識を失いかけたことも。
気管支炎を患い、医師に休養を厳命された時には、
「日本女性にとって38度は平熱です」と言い、
研究を続けたという。
彼女は自著に記す。
「最後まで徹底的に」と。
心にあったのは師・ジョリオ教授の言葉。
「世の中に天才というものはない。ただどこまで努力するかがあるだけだ」であった。
しかし、彼女は幼少期、習いごとは身につかなかった。
長唄を教わっていたが、
稽古に入るとすぐに眠りに入ってしまうほどだった。
母は他の姉妹には茶の湯や裁縫などを教えていたが、
年子に対しては諦めていたためか例外であったという。
習い事では自分の可能性は分からない。
何でもいい。自分の決めた道に徹し抜こう。
徹すれば使命の舞台は、きっと広がる。
青春、そして人生の、真の勝利と満足は、そこにある。
大切なのは、道を自分で決めること。
湯浅年子博士のように。