想像力を持とう!

先日、三者面談をした。

 

その生徒は公立高校を志望している受験生なのだが、

 

合格できる成績が取れていない。

 

滑り止めの私立高校はなんとか確保できているのだが、

 

このままでは第一志望の合格は危ういということでの

 

保護者からのリクエストによる三者面談だ。

 

この時期なので言葉は選びながらも

 

本心の対話をしなければ意味がない。

 

「実は・・・・・お金持ちになりたい。だから医者になりたい・・・・」

 

「実は・・・・・進学が強い学校ならばどこでもいい・・・・」

 

話をしている中で

 

本音が出てきた。

 

昨日も書いたのだが、

 

自分の思い描く未来像が具体的であればあるほど、

 

その未来は現実化の可能性は高まる。

 

しかし、その生徒の未来像は具体的ではないのだ。

 

今の自分にとってはありえないすごい未来を生きようと思ったら、

 

1)ありえないすごい未来を詳細に思い描くこと

 

2)その未来を見て、そこに向かって走り出すこと

 

これらの2点ができていないのだ。

 

もう受験直前のこの時期なので

 

いや、受験直前のこの時期だからこそ

 

いま変わらなければいけない。

 

そして、今変われなければ

 

医者には決してなる事はできない。

 

志望している高校に合格できる可能性は高くないのだが

 

たとえ合格できたとしても

 

今変わることができなければ

 

医者にはなれないのではないだろうか。

 

今すぐに変わること

 

そしてここから3年間走り続けること。

 

そうすればキミの中の何かが変わる。

 

ざっくりいうとそんな話をした。

 

言いたいことは伝わったと思う。

 

もちろん公立高校の出願作戦も立てたうえで。

 

 

 

 

 

 

その生徒のような受験生は少なからずいる。

 

「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という。

 

簡単に言うと、人は放っておくと無意識のうちに楽な方へ、

 

楽な方へと流されて行くということ。

 

楽して暮らしていけるのなら何よりなのだが、世の中そう甘くはない。

 

受験に置き換えてみると、楽をしていては、合格できないのだ。

 

人が安易な方向に流れることは本当によくあることで、

 

逆に安易でない方向に挑戦する人は、何かと成功する人なのではないかと思う。

 

潮の流れ・川の流れ・流れるプールの流れなど水の流れに逆らって泳ぐことは、

 

不可能とは言わないまでもたいへんなことは分かると思う。

 

友だちが「勉強やめて遊ぼうよ」という流れを作ったとしたら、

 

流れに逆らうためには、流されない強い意志をもつことが必要なのだ。

 

私は想像力も合格するための大切な能力だと思っている。

 

あと1か月で、公立高校の出願だ。だから安きに流れている場合ではない。

 

これならば誰にでも想像できる。

 

でも、小学6年生に、あと3年と1カ月で公立高校入試がやってくる。

 

だから安きに流れている場合でない、と言ったとして

 

いったいどれくらいの人が想像できるのだろうか。

 

中学1年生や中学2年生もどうだろうか。

 

「流されないぞ」という強い意志がなかったり、

 

努力がなかったりすると、一気に流れに飲み込まれてしまう。

 

流れに身を任せてたどりつく先は、

 

自分が目標としていた場所、

 

自分が目指す場所とは程遠い所なのではないだろうか。

 

ひとつだけ確実なことは

 

過ぎ去ってしまった時間は

 

決して戻っては来ないということだけだ。

 

想像力を働かせて、なりたい自分になろう!

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