かけがえのない日々
今回は受験生の親向けの話。
受験は大変だ。
はっきりいってしんどい。
毎日毎日来る日も来る日も夜中まで
暇さえあれば勉強、
土曜日も日曜日も祝日もない生活をして、
それで一体何が待っているのだろうと自問自答すればするほど
深みにはまり、答えは出てこない。
「これが我が子の人生にとって必要なことなのだろうか」と
親が迷いだしたらきりがない。
絶対なる答えは決して存在しない。
今、あこがれている学校に合格するという保証はどこにもない。
大変だった受験勉強が我が子の肥やしになっているという保証も
どこにもないのだ。
言い切ってしまうのならば、そこにあるものは
我が子が幸せであれという親の祈りしかない。
では、先輩親たちは受験をどうとらえているのだろうか。
不思議なほどに受験を否定的にとらえている人はほとんどいない。
第一志望に合格した、しないに関わらず、
厳しい受験勉強を経験させて良かったと答える。
その過程で悩んでいたはずの人たちが
なぜそのように断言するほどの自信をもって言えるようになるのか。
受験生の親たちはいわば、一方通行の不安トンネルをくぐってきた人たちだ。
一方通行なので、当然、あとには戻れない。
もうやめようかと悩みながらも雑踏の流れに押されるように
ずるずると出口に向かった人たちだ。
「我が子が幸せになるために」はこの道が正しいと
誰か教えてくれないだろうかと思うだろう。
しかし誰も教えてなどくれない。
ゆえに葛藤するのだ。
この暗闇の中で懸命に考えるのだ。
「そこまで考えていない」という人もいるかもしれない。
それでも、定期テスト、模試の結果や通知表の評定は気になるだろう。
我が子の成績に一喜一憂する姿こそが
我が子のことを深く考えている証拠である。
もし受験がなかったら、
我が子の成績や将来を真剣に考えたり
悩んだりココロのバランスを取ろうとすることなど
ないのではないか。
そう気が付いたときに、
親たちの多くはこの経験をかけがえのないものとして
受験を浄化する。
このカタルシスの領域に踏み込むまでには
相当の葛藤がなければたどりつけないだろう。
おそらく、先輩親たちはそういう思いを感じて
受験に後悔はないと断じられるほどに強くなっていくのだと思う。
志望校に受かろうが、非運を噛みしめようが、
受験が終わったときに
「やるだけやった」と思えるのならば
それは間違いなく「いい受験」なのだ。
先輩親たちはそう言っている。
実は子どもの立場で見た受験もこれと同じなのだ。
前日のぎりぎりまで、悩んで、苦しんで、探し求めること
それが答えになるということだ。