二極化
そんなに頑張らなくても生きていくことはできる。
贅沢しなければ
たくさん稼がなくても
生活は成り立つ。
高校進学も
以前は
私立はお金がかかるから・・・・・
というご家庭もあったのだが、
今は
世帯収入が低い家庭ほど
国や県からの補助が出るようになってきている。
条件を満たせば
入学金まで補助を受けることができる。
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0204/fubofutan2.html
そういう時代のそういう国に
私たちは生きている。
だから、
いろんな意味で二極化が進んでいるように思う。
お金持ちと、貧しい人の二極化
幸せを感じている人と、不幸を感じている人の二極化
これらは、現在の結果や状態に対しての二極化だ。
しかし、これら二極化の背景にある、
二極化の原因ともいえる二極化があるのではないだろうか。
それは、
頑張る人と、怠ける人の二極化
「なんでがんばらなければいけないの?」
「がんばったってどうせムリ」
という人がいる。
そんな人に問いたい。
「それでは、頑張らなかったとしたらどうなるのだろうか?」
中学生の3年間、
勉強を頑張って過ごしても3年は経過するが、
頑張らなくても3年は経過する。
同じ3年間だが、
3年後に受験する高校は同じだろうか
その先の高校生活3年間も、
勉強を頑張って過ごす人と怠けて過ごす人はいるだろう。
中学生の3年と高校生の3年、
合わせて6年という時間を
勉強を頑張って過ごした自分と、
怠けて過ごした自分で、
結果は同じになると思うだろうか?
その先の大学生や社会人になったとき、
「どうせ頑張っても無駄だ」
「自分にはムリだ」
と思って適当に生きている人と、
何のためかは人それぞれだけど
頑張って生きている人が、
同じ結果になって
同じ人生になるだろうか?
違うだろう。
頑張って無駄なことなんて、一つも存在しない。
頑張っている人は、
頑張っている人に惹かれるから、
頑張っている仲間と仲良しになる。
この人たちは、基本的に怠けている人が嫌いだ。
怠けている人は、
怠けている人のグループができる。
この人たちは、基本的に頑張っている人が嫌いだ。
この時期の仲間の影響も
とても大きい。
周りの人たちが同じような人が多くなると、
その考え方がどんどん浸透して強固になっていく。
もちろん、現実はこんな単純ではなく
頑張っている姿を見せない頑張っている人や、
その逆に、
頑張っていない人でも
頑張っている風に見せかけているだけの人もいるだろう。
演技が上手ならば
面接でも努力家を演じることができるだろう。
でも
長い目で見ると
かならずボロが出るし
何よりも
自分にウソをつき続けることになってしまう。
ひたむきに、おおらかに
努力を重ねている人を
応援したくなるのが人情だ。
何かをすれば、
絶対に成功したり
何かを得られる
そんな保証や必勝法はどこにも
存在しない。
失敗の経験で
努力はムダだと
結論付ける人もいるだろう。
成功の経験に
あぐらをかいて
努力をやめてしまう人もいる。
終わった瞬間から
挑戦は
過去のものだ。
顔を上げよう。
未来は
分からないから
挑戦する甲斐があるし
分からないから楽しい。
結果が分かっていてやるのを
挑戦とは言わないし、
心がワクワクしない。
がんばらないでいい
と多くの人が考える
そんな国の未来は
けっして明るくないだろう。
いきいきと
挑戦する人生を
歩んでいこう。
何も大それたことではないと思う。
ほんの少し勇気をだして
頑張っていけばいいだけだから。
気持ちの問題だ。
さて、話題は変わって、入試応援の話。
文科相から入試応援自粛要請とのこと。
大学入試だけでなく
中学高校入試も同じことだ。
今年ばかりは入試応援も難しい。