働くことの意味

宝くじを当てたりして、一生働かないで暮らしていきたい。

 

一度はこんなことを考えたことはありませんか。

 

仕事をしない人生ってどのようなものでしょう。

 

毎日好きなことをして楽しく過ごせますね。

 

イヤなことを避けて生きることができますね。

 

 

 

でも、知っていますか。

 

人格は仕事を通じて

 

磨かれるということを。

 

日々の労働によって、

 

心は磨かれるということです。

 

 

人生において、悟りや自分の人間性を向上させたいというときに、

 

そこに、特別な修行などは必要ないということです。

 

普段の暮らしの中で自分に

 

与えられた役割や行為こそ、

 

人格研磨のための修行だということです。

 

 

 

とある大工の棟梁さんが言った

 

『木には命が宿っている』

 

『木が語りかけてくる』

 

そんな深遠な響きの言葉は

 

地道な努力を重ねてきた方からこそ

 

でてくるものですね。

 

 

 

 

ある過疎地域の話です。

 

その地域の老人たちは、

 

それまで仕事もなく、

 

暇を持て余しては昼間から酒を呑み、

 

縁側に集まって愚痴や他人の悪口ばかりを言っていました。

 

数年後にその老人たちは、

 

愚痴や悪口を言っている暇などないくらい忙しく働き、

 

生き生きとした余生を過ごすことになりました。

 

 

 

ご存じの方もいると思います。

 

徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」です。

 

町の人口はわずか2000人で、

 

2人に1人は65歳以上という、

 

近い将来の日本の縮図のような高齢者の町。

 

「葉っぱ」とは、懐石料理を華やかに彩る“つまもの”のことです。

 

その町はかつて林業、さらにみかん農園と

 

次々と地場産業を失い、

 

働き手である息子たちは出稼ぎのために町を去っていってしまいました。

 

そんな町で高齢者にできる仕事はありません。

 

自らも働いて家族の収入を少しでも支えたいが、

 

細々となら自分たちで暮らせないことはありません。

 

すでに働く義務は果たしているのですから。

 

年金を受給している老人たちは必ずしも働く必要はなかったのです。

 

 

でも、彼らは働くことを選んだのです。

 

彼らは働くことで何を手に入れたのでしょうか。

 

お金も手に入れました。

 

人によっては子どものために家を新築した人までいるといいます。

 

しかし彼らが手にした一番大切なものは、

 

お金以上に「生きがい」でした。

 

生きがいは毎日に笑顔を生み、彼らを健康にしてくれました。

 

かつて町の方々で目にした、

 

愚痴や他人の悪口ばかりを言う老人たちの姿は

 

見かけなくなりました。

 

彼らは働くことで、

 

働かないで余生を過ごすよりも、

 

何倍も有意義な時間を過ごすことになったのです。

 

町には活気が溢れ、

 

子どもや孫たちまでもが手伝いに帰ってきてくれるようになりました。

 

年金生活者だったお年寄りたちが、

 

自ら稼いで税金を納めています。

 

元気な人が増えて介護保険の適用が減っているそうです。

 

 

 

 

自分がいくら働いても

 

誰も喜んでくれなかったり、

 

働きたくても働く場所がなかったりすると

 

やる気が出ないんだけど、

 

自分が働くことで世の中の誰かが喜んでくれている、

 

そう思えること、

 

それが「生きがい」になるんじゃないかと思います。

 

働いて自分は社会のために役に立っているんだ、

 

自分はこの社会で必要とされてる人間なんだと思えること、

 

働くってことはそういうことなんだと思います。

 

 

だから、将来子どもたちが働くってときに

 

是非そういう「生きがい」をもって働けるような働き場所を見つけてほしいと思います。

 

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