4度の受験失敗の先には

岡山県の名門県立岡山中学 のちの岡山 1 中、

 

現在の県立岡山朝日高校にチャレンジしたが

 

結果は不合格だったので高等小学校に進学。

 

翌年、再び受験したが不合格。

 

仕方なく、高等小学二年に進学。

 

その後また受験しその時も合格しなかった。

 

旧制中学受験だけで合計三回の失敗。

 

 

中学卒業後、

 

中学受験にも三回も失敗しているため、

 

両親にこれ以上苦労をかけたくないと思い、

 

気台いをいれて受験に挑んだが

 

結果は不合格で、

 

これで人生四回目の受験失敗。

 

当時は予備校などもなく、

 

母校の小学校の代用教員となり、

 

雌伏の時を過ごした。

 

人がやりたがらない宿直番をこなし、

 

受験勉強にいそしんだ。

 

 

 

 

石川島播磨重工業社長、東芝社長、そして経団連会長まで務めた

 

戦後日本の経営者の中で最も尊敬を集めた人物の一人

 

土光敏夫氏は人生で4回も受験を失敗している。

 

 

 

土光氏のすごいところは

 

受験の失敗だって堂々と

 

「そもそも学校というのは

 

社会に出るための

 

ウォーミングアップの場所に過ぎない」

 

と言ってのけるところだ。

 

 

 

土光氏の住んでいた家は

 

日本が太平洋戦争に突入する寸前に建てられたもので

 

わずか3部屋しかない平家建て。

 

この小さな家に50年近く住み続けた。

 

生活は極めて質素で10万円程度で暮らす「清貧」の日々であった。

東芝の社長になったときはトイレ・バス付の社長室を撤廃し、

 

役員の個室を4人部屋に変え、

 

出張での付き人は無し、

 

社用車は止め電車通勤を通した。

 

床屋へ行かず、自宅で息子に切ってもらっていた。

 

食事はメザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米。

 

「メザシの土光さん」と呼ばれていた。

 

 

 

当時造船疑獄事件が起きた際に

 

政官財で105人が逮捕され、

 

土光はそのうちの一人だった。

 

土光の取り調べをした元検事総長伊藤栄樹氏は、

『いやあ、今日という日は、まいった。実に立派な人だ。

生活はまことに質素。

大会社の社長なのに、

朝早く、 国電のつり革にぶらさがって通勤している』」

「土光さんは不起訴になったが、

事件後、私は、周囲の人びとに

『財界の事情は知らないし、

石川島の社長というのも十分に偉いのだろうが、

あの人はもっと偉い人になるような気がする』

といったものである」と振り返っている。

 

 

自分の利益を求めない、

 

誰よりも自分が大きく負担する、

 

仲間への深い愛情、

 

今の時代には

 

このような人物はあまり見かけないから

 

お手本にしたい人物だ。

 

 

 

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