ケ・セラ・セラ
お店の中で何度も流れてくる曲に
「刷り込み」されてしまったことはありませんか。
たとえば私の場合
ディスカントショップのドン・キホーテで買い物したあと
店を出てから
「ドンドンドンドーンキドンキホーテー♬」
無意識に鼻歌を歌っていることがあります。
店内であのメロディーを刷り込まれてしまっているのですね。
最近
近所のお店で流れてくる曲
「ケ・セラ・セラ」を刷り込まれてしまいました。
ケ・セラ・セラは、スペイン語に由来するフレーズ。
「なるようになる」という意味。
調べてみると
アメリカ人アーティストのドリス・デイによる1956年の楽曲とのこと。
ヒッチコック監督の映画の中で使われて大ヒットとなったようです。
ドリス・デイは今年の5月13日に97歳で亡くなっています。
以下、私が刷り込まれてしまった
ケ・セラ・セラの歌詞を日本語に訳してみました。
When I was just a little girl
幼いころ
I asked my mother
母に尋ねたわ
What will I be
「わたしは何になる?」
Will I be pretty
「かわいくなれるの?」
Will I be rich
「お金持ちになれるの?」
Here’s what she said to me
すると母はこう言ったのよ
Que sera, sera
「気にしてもしょうがないのよ」
Whatever will be, will be
「なるようになるわ」
The future’s not ours to see
「未来のことはだれにも分からないのよ」
Que sera, sera
「だから気にしてもしょうがないのよ」
What will be, will be
「なるようになるわ」
この歌は今の私の抱えている問題や不安の答えだ、
口ずさみながらそう思いました。
歌の解釈に正解はないのです。
聴く人が異なれば
伝わるものも違っていいのです。
その歌を聴いたときに
感じたこと
勇気づけられたりしたこと
それがその人にとっての
その歌なのだと思います。
私はその日、店の中で
塾生のことを考えていました。
どうやったら
心をつかみ
動かすことができるのだろうか、
いつもの答えのない問題を考えていました。
開業したばかりなので
いろいろな面で
自分にプレッシャーをかけていたのです。
そんな時
この曲が流れてきたのです。
先のことばかり考えてしまう性格をしている私は
この曲を聴いて
衝撃的だった。
そして
心が軽くなったことを感じた。
私は
ケ・セラ・セラ
日本語で「なるようになる」は
いい加減に生きるのではないと思います。
先のことに不安を抱いて今日を生きるのではなく
肩の力を抜いて
今日をしっかりと生きる
先の不安に押しつぶされて
行動できなくなるのではなく
今をしっかりと生きて
生きていることを楽しもうよ
こんな感じの解釈をしています。
サビの部分はこんな別解釈もできると思います。
「どうすることだってできるさ。
どんな風にもできるんだよ。
だって未来はまだ決まっていないのだから。
そうすることもできるんだよ
どんな風にだってね」
10年後くらいに
この歌を聴いたら
今の気持ちが
鮮明に蘇るだろうな
きっと。
さあ、今を生きよう。
先のことなど分からないからね。