楽しく学ぶ
何事も苦しいだけじゃ続かない。
勉強に限らず何だってそう。
筋トレとかダイエットとかもそうだろう。
スポーツや習い事も。
我慢できるうちは続くけど
我慢の限界に達すれば
逆に拒絶反応が起こってしまう。
もう見たくもないって思うくらいのアレルギー。
受験あるあるの一つ。
確実に悪いのは周りの大人。
そんなふうに導いてきたんだから。
何をするにも楽しくやるのが一番。
楽しければ、長続きする。
楽しければ、自発的にやる。
楽しくやるって、ちょっとした工夫とか
ちょっと発想を変えることで実現できることがある。
そもそも
人は「知りたい」って知的好奇心をもつ生き物。
だから、何か新しいことを学ぶってことは本能的欲求だ。
教育の大切さは今さら言うまでもないが
教育の根幹は「知りたい」「学びたい」という意欲にある。
強制的にやらされるというものではない。
どうだろうか?身近な人たちを思い浮かべてほしい。
周囲に、笑顔でうれしそうに学習する人はいないだろうか?
先生のギャグに反応してうれしそうというのではない。
知る喜びで笑みがこぼれているということだ。
「何言っているの?」
そんな人いるわけないでしょ
って思う人もいるだろう。
OECD加盟国ではこどもたちにPISA型のテストをしているだけでなく、
16歳から65歳の学力も調査している。
PIAACっていうもの。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/1287165.htm
前回調査で日本の20歳の知的好奇心は
スウェーデンの65歳と同レベルって話題になったことがある。
若者が知的ドキドキや知的ワクワクを求める気持ちで老人に負けちゃいけない。
残念ながら、日本の若者の知的好奇心はそんなものらしい。
さっきの、笑顔で学習するような知的好奇心がいっぱいの人が周囲にいる?
っていう質問に、
自分の周りには心当たりがなかった人、
ちょっと注意が必要。
それは日本や韓国とかでは普通かもしれないけれど、
世界の中では逆に主流派じゃないんだ。
それに、知的好奇心を持てないっていうのは人の本能に反しているし。
少ないかもしれないけど
いるんだよ。
今の日本でも嬉々として学ぶ子が。
あまりに楽しくて、
夢中になって、
新聞配達のバイクの音で我に返って、
慌てて寝るような子がいるんだよ。
授業中も、ニコニコしてるんだよ。
そう、
まるで砂が水を吸うように
知識を吸収するんだ。
こどもがポケモンをおぼえるようにね。
自分はそうじゃない
だから関係ない
って思う人もいるかもしれない
でも
大事なのは
人の本能からすると、学ぶことは楽しいことであること、
純粋に学ぶことに楽しさを見出す人は世の中にはたくさんいること、
これらの2つの事実を自分の中に受け入れてみること。
「意味不明」「ありえない」「無理」って遮断すると、
世界はどこまでも小さいものになってしまう。
周囲の大人に
大学入るまでは我慢して勉強しなさい、そうすれば人生安泰だから、言われた通りにしなさい
って言われたことがあるとしたら
それは残念だけれども、間違えた考え方。
できる子の考え方を
今の自分にはないけれど必要な考え方を
そのまま取り込んでみる。
それから咀嚼して自分のものにしてしまう。
私の知っているできる子は
みんなそうしているから。
マインドはダメな周囲に合わせるのではなく、良いほうに変えなければね。
もし、仮に
勉強なんてムダ、
こどもは作物の作り方とか敵との戦い方を学ぼう
って大人から言われるとしよう。
そんな世の中だったら
間違いなく
「学びたい」ってみんな思うはず。
おじいさんと草原の小学校って映画がある。
舞台はアフリカ大陸ケニア。
イギリスの植民地支配から独立を勝ち取った39年後の2003年、
政府がついに無償教育制度をスタートし、
田舎の小学校の前には何百人もの子供たちが押し掛けた。
その中にただ一人、84歳の老人の姿が。
今まで教育を受ける機会がなかったマルゲは、
“文字を読みたい”一心で、馬鹿にされながらも、
何キロもの道のりを学校まで来ては門前払いされる日々を繰り返していた。
そんな彼の情熱に突き動かされた若い女教師ジェーンは、
周囲の反対を押し切り、マルゲの入学を認めさせる。
6歳の子供たちに交じり、初めて学ぶことの楽しさを体験するマルゲ。
この映画を見ると、
人は「学びたい」ってキモチをもっているんだって分かるだろう。