たとえ何があろうと
一枚の写真がある。
畳敷きの部屋で画業に励む4人の男。
画材以外は何もない。
部屋の様子は
まさに修業の場そのものである。
教科書には載っていないが
近代日本美術の父・岡倉天心は
明治31年、東京美術学校の校長職を追われる。
理由は、でっち上げによるスキャンダルを載せた怪文書。
才能ある偉人を追い落とす際の常套手段である。
この理不尽な処分に抗議し
横山大観ら何人もの教官が職を辞している。
天心は自ら日本美術院を設立。
その後、同院を茨城の五浦に移している。
当時、彼らは
「都落ち」「朦朧派の没落」などと揶揄された。
写真はそのころ
大観たち弟子が
創作活動に励んでいた時のものである。
横山大観が後世に名を残したのも
そこでの必死の活動おかげであろう。
大観は後に
「このはかり知れない先生のご恩誼にお報いすることのできるものといえば
それはこの芸術への精進という一事以外には何物もありません」と語っている。
たとえ逆境の中であろうと
全員で前進する。
いつの時代もそれに勝るものはない。
歴史がそのことを証明しているのではないだろうか。