将棋駒
将棋駒で有名な都市は?
中学2年生ならば、2学期に社会で習っているかな。
答えは山形県天童市。
天童市で将棋駒の製造が天童で始まったのは、
江戸時代末期。
凶作が続いたことにより藩の財政が困窮し、
救済策として家臣に将棋駒製作の内職を積極的に奨励した。
「将棋は戦闘を練る競技であるから、武士の面目を傷つける内職ではない」
というのがその理由だったという。
現在では、認定された伝統工芸士が作る駒は、
プロ棋士のタイトル戦でも使われている。
19歳で将棋駒師の道へと進んだ青年がいた。
駒つくりの師匠は、
日本屈指の名工と称される父親。
「一切の手抜きをしないことが、一流と二流の違い」との教えのままに
必死に彫った力作を父に見せるが、そのたびに突き返された。
それでも、逃げたい心を捨てて修業に徹した末、
“自分にしかできない表現”をつかんだ。
彼は、最年少の伝統工芸士となり、現在も活躍している。
学習の世界でも、将棋駒の世界でも
本当に難しいのは
弱い自分との戦い。
最初から強い人はいない。
日々、弱い自分と闘っていくのだ。
少しくらいいいじゃないかという弱い自分に
きっぱりとNo!と言おう。
一切の手抜きをしないことが、一流と二流の違いなのだから。