山頂
山は遠くから見ているとさほど高くは見えない。
しかし、近づいてゆくと段々高く見えてくる。
山の麓にまでたどり着くと、
とてつもない高さに感じられ、
登り始めれば、
もう頂はたどり着けそうにないほど
遥か彼方の高みにあるように思われる。
これは、入試にも同じことが言えると思う。
難関校を志望する受験生がいるとする。
身近な人も〇〇卒業、
「クラスのビリから○○大学に合格!」なんて映画も見た、
ネットなどの合格体験記には
いとも簡単に合格したかのような話が
いくつもある。
上記のような極端な話も
あながち嘘ではないと思う。
ただし、省略が多い。
正確に言い直せばこうなる。
「合理的な努力を一日たりとも怠らず重ね、
凄まじい時間と労力をつぎ込むならば、○○合格なんて簡単だ!」なのだ。
ちょろっと勉強して合格するなんて甘い話はない。
合格体験記に
いとも簡単に合格したかのような話があれば、
それはその人が
「合理的な努力を一日たりとも怠らず重ね、凄まじい時間と労力をつぎ込む」
ことが普通になっていて、
別段難しいこととは思っていないからだ。
合格直後にはよくあること。
さきほどの山の比喩に話を戻そう。
大した努力もせずに
○○合格などとのたまっているうちは受験生としてまだまだ。
受験生未満。
本格的に受験勉強を始め、学
びを深めていくと、
これは一筋縄ではいかないぞと感じるようになり、
○○の入試過去問に触れだす頃には
恐怖感すら覚える。
受験会場にいる自分が浮かんでくる。
こんな難しい問題を解いて、
右に座る受験生と左に座る受験生に勝つなんてことが
本当に可能なんだろうか。
大体、こんな難問を自分は解けるようになるのだろうか。
そうした恐怖感や焦燥感に駆られ
必死で勉強するようになって初めて、
一人前の受験生と呼べるんじゃないかと思う。
モチベーションが維持できないなんて言っている間は、
山を遠くから眺めているだけの傍観者だ。
真剣に山に取りついてのぼり出した人間が
「登山のモチベーションが保てない」なんて言うだろうか?
私が受験生に伝えたいのは、
登り始めたなら、
頂がどんなに遠くにあるように思えても、
絶対にあきらめるなということ。
恐怖感や焦燥感はあって当たり前。
登り続けたものだけが頂にたどり着ける。
逆説的だけど、
山頂が遠くにあると思いながらも
真剣に努力しつづける人なら、
山頂は案外近い。
山頂がたどり着けそうにないほど
遥か彼方の高みにあるように思えるのは、
真剣に受験勉強に取り組んでいる証拠。
心を強く持って、頑張って欲しい。