漠然とした言葉
ときどき「勉強の仕方が分からない」という漠然とした言葉を聞くことがあります。
生徒本人からではなく保護者の方を介して聞くことが多い言葉です。
「うちの子は『勉強の仕方自体が分からない』って言うんです。」と相談されるパターンです。
結論から先に申し上げますが、
お子さんがこうした事を言うのは、
極めて危険な兆候だと思います。
子どもが勉強の世界から逃げていく兆候だと捉えています。
もう子供には勉強する気力が残っていない可能性が高いです。
具体的な質問なら全く問題はありません。
例えば、「一般動詞の否定文の作り方が分からない」とか、
「一次関数のグラフの読み取り方が分からない」のような質問です。
こうした質問が出るのは、むしろ勉強に意欲的な証拠。
問題なのは、内実を伴っていない、
漠然とした「勉強の仕方が分からない」という言葉です。
過去には具体的に指示を出すようにしたこともあります。
英単語はこうしてノートに書いて覚える、
字の大きさはこれぐらい、行の開け方はこれぐらい、
書く回数は一単語に付き○○回、かける時間は○○分、必ず声に出しながら書く、
終わったら隠して自分でテストする。間違った単語は○○回書く。再テストの仕方は云々。
各教科、各ジャンルにつき、微に入り細にわたって指示を出しました。
現れるであろう効果を待っていましたが、全然効果が現れませんでした。
「教えたとおりにやってみよう。絶対に学力は付くから。保証するよ。」
「はい。分かりました。」
返事はいいんですが、一向にやってきてくれませんでした。
授業の度に何度も何度も注意するんですが、結果は同じ。
声を荒らげたこともあるけれど、状況は良くはなりませんでした。
しばらく忸怩たる気持ちでいたことを覚えています。
ついには、鈍感な私にもようやく分かりました。
その生徒は「勉強の仕方が分からない」のではなく、
「勉強することから降りたい・逃げたい」のだと。
親は、自分のことを気にかけてくれており、
その生徒は「勉強なんてしたくない」「勉強することから降りたい」などと、
言えませんでした。誰かを傷つけるのは嫌だからです。
自分が悪者になるのも嫌だ。そうした背景から生まれたのが、
「勉強の仕方が分からない」という言葉だったのでしょう。
子どもから聞かれる「勉強の仕方が分からない」という漠然とした言葉は、
かなり危険なサインであり、対処が難しいものだということをご理解いただければ幸いです。
結局のところ、本人が自分を変えないと何も変わらないのです。
いつだって覚悟を決めた瞬間に人は変わることができます。
ほんの少し勇気を出して決意をして、
毎日ほんの少し勇気を出して学習する。
続けた先には今とは別の自分がいます。
始めましょう。
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