選ぶ
子どもたちの中に眠る秘めたる才能を開花させたい。
子を持つ親ならば、期待は人それぞれ違うだろうけど、
そう思うのが普通だろう。
ひょんなことから才能を発掘された子どももいるだろう。
逆にそのすばらしい才能を生かすことなく成長していく子どももいるだろう。
どうやったら、
子どもたちの中にある才能を発掘できるだろうか。
それは、多くのことをやらせてみることだという結論にたどり着くことになる。
家庭では、いろいろな習い事にチャレンジさせてみたりする。
学校では行事もたくさんあるし、たくさんの科目にチャレンジさせる。
国語・数学・理科・社会・英語・音楽・保健体育・美術・技術家庭。
まだまだジャンルはたくさんあるけれども、
とりあえずこれくらいやっておけばいいだろうというラインナップだ。
適性が見つかったり、強い興味が芽生えてきたら、
専門的な道に進んでいけばいい。
世の中そういう風にできている。
適性も興味関心もないことを無理してやることはない。
自分のやりたいことをやればいい。
ただし、義務教育期間は別だ。
義務教育の期間はとにかくたくさんやって可能性を広げるのだ。
じぶんでやってもないのに良し悪しを語ることもできない。
食わず嫌いみたいになっては困る。
やっていることを広げるだけ広げて、その中から道を選ぶ。
そう、人生は選択の連続なのだから。
義務教育期間が終われば、
いよいよ自分の選ぶ道に進んでいく。
しかし、近年は高校進学率が100%近くまで上昇し、
義務教育の延長のような位置づけになってしまった。
高校はある意味で中学の続きのようなものになっている。
だから、最近では高校を卒業するまでに
自分の進む道を決めて
進んでいくことになる。
その際には、今まで幅広くチャレンジしたことのすべてや一部の成果が試される。
これが入試なのだ。
入試までは全部やっておかなければならない。
進みたい道が明確でも
入試までは全部やるべき期間なのだから。
そして、入試は経験すればするだけ、どんどん専門的な学びになっていく。
この原則を忘れてはいけないのだ。
自分で選ぶのは難しい
自分で選ぶのは面倒くさい
などと考える人がいる。
そんな人にぜひ読んでほしい本がある。
題名はカッシアの物語。
結婚も、職業も、死さえも…すべてが決められた“偶然の起こるはずのない社会”。
そこに暮らす17歳の少女の運命を変える選択とは―。
ジャンルでいえばいわゆるディストピアもの。
一気に読みたい3部作だ。
読後は自分で選ぶことの素晴らしさが分かるだろう。
来るべき選択のときのために、
日々、こう考えたらいい。
「今日、楽しいこと見つかるかな?」
さて、話題は変わって写真の紹介。
ここでは春はもう少し先かな。