それを言っちゃあ
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
ご存じフーテンの寅さんの名言だ。
この言葉は、第一作目で、
ケンカの際に、
おいちゃんが言う「出てってくれ」に対して寅次郎が返すセリフ。
第一作で渥美清氏がとっさに放ってしまったアドリブだったが、
セリフの持つ意味に感心した山田洋次監督が
その後脚本に多用するようになったという。
「教養レベルが低い」という発言が物議を醸した。
教養の定義もさまざまである上に、
個人の価値観は多様だ。
教養が大事だというのも一つの価値観、
腕力が大事だというのも一つの価値観。
そして、それらは目に見えるものではないので
優劣も、人ごとの主観によるものとなる。
ある人は、学歴や職歴などの経歴こそ教養だという。
ある人は、テレビの難しいクイズに答えることができる知識量だという。
ある人は、読んだ本の冊数やその人の言動にあらわれるものだという。
教養なんて一つの武器でしかない。
非常時や戦時には教養など役に立たないという人もいるだろう。
筋肉ムキムキのマッチョな格闘家が
腕力のない男は価値がない
と発言したらどうだろうか。
これも物議を醸すだろう。
どちらも、
ある人にとっては正解であり、
ある人にとっては不正解なのである。
議論をしたところで勝負はつかないのである。
それどころか、議論をすることで
感情的になったりしたら、もう手に負えない。
論点が拡大したり、縮小したり、すり替わったり、
着地点が見いだせなくなってしまう。
それこそ分断が決定的なものになることだってある。
寅さんシリーズの山田洋次監督は、
「家族であれ、近所であれ、職場であれ、
人と仲良くしていくには、
非常に知的な努力が必要だと思う。
ストレートに言えば角が立つことも笑い話にして、
その奥に本音をそっとしのばせることが、
文化的な暮らしといえるのではないか。」と。
ホントにその通りだと思う。
感情的になった時、
マウントを取りたくなった時など
思い出してみるといいだろう。
旅に明け暮れ、
座学でなく実体験から多くのことを学び、
さまざまな土地でその地に住む人と心を通わせた
フーテンの寅さんの
この言葉こそ
下町のリアル教養人の名言だと思う。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」
さて、話は変わって塾の様子。
中学生の生徒面談が始まる。
現状の反省と修正、今後の目標設定の場だ。
クラスごとのガイダンスも実施していく。
テストの終わったここから引き締めなおしていこう。
ちなみに、中3は今月2回もガイダンスを実施した。
受験までのイメージが持てたと思う。
あとは最後の最後まで
ひたむきに
おおらかに
伸びていくだけ。