読書のすゝめ

江戸時代後期、廣瀬淡窓が豊後(現在の大分県)日田市に開いた私塾「咸宜園(かんぎえん)」。

「咸く宜し」(ことごとくよろし)とは、すべてのことがよろしいという意味で、

 

言葉通り、塾に学ぶ者は平等。

 

蘭学者の高野長英や兵学者の大村益次郎など、多彩な人材を輩出した名門校である。

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大村益次郎とは何? Weblio辞書

入学に際しては名簿に必要事項を記入すれば、身分、年齢、学歴に関係なく横一線で学習を始めた。

 

ただ、平等主義に加えての実力主義で、勉強は厳しかった。

 

毎月の試験成績によって無級から九級にまで位置づけられた。

 

その教育法には、独特なものがあった。

 

読書に関するものは、現代でも、

 

いや現代でこそ役に立つ方法だと思う。

 

以下、紹介したい。

 

1本の線香が燃え尽きる間に読書し、

縁起物「お香」|暦とならわし|暦生活

2本目をたく間に、その感想を漢文で書く。

 

さらに、3本目では詩文を作る。

 

書を読んで考え、即座に表現する力を養ったのだという。

 

時間があれば読書ができる、というわけではない。

 

多忙な中でも、時間を見つけ、

 

学んでこそ、かえって、自らの血となり、肉となる。

 

 

 

小中学生たちは、寸暇を惜しんで読書に励もう。

 

日々の生活の中で、本を読み、思索を深める。

 

深化された思想を、エネルギーに変えて進む。

 

そしてまた、前進する中で読書し、思念する。

 

この繰り返しの中にこそ、

 

教科の学習では身につけることができない

 

本物の人格の陶冶があるのだから。

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