見ているようで

朝、家を出るときの皆さんに、ちょっとした提案がある。

 

「きょう一日で、『赤い色』のものを、

 

いくつ見つけられるでしょうか」

 

ポスト、赤い文字の看板、赤い色、赤い帽子……。

 

“世の中は、こんなに赤いものがあふれていたのか”

 

と驚くほど、不思議に赤い色が目に飛び込んでくるだろう。

 

もちろん、急に赤いものが増えたわけではない。

 

意識した対象に敏感になり、

 

目に留まるようになっただけ。

 

これを「カラーバス(色を浴びる)効果」という。

 

 

見ているようで見逃しているものは、

 

案外多いものだ。

 

ましてや肉眼ではとらえられない、物事はなおさらのこと。

 

 

新13歳のハローワークという本がある。

2010年に出版されたものだが、

 

今読んでも十分ためになる1冊だ。

 

著者の村上龍氏は出版後に気づいたことがあったという。

 

『この本を作った後で気付いたことがあります。

 

それは、好きなことを「探す」

 

という風に勘違いしやすいということです。

 

好きなことや自分が興味を持てる職業は、

 

探したからといって見つかるものじゃない

 

と思うようになりました。

 

例えば、自分は宇宙のことが好きだな、

 

お花が好きだな、物を書くのが好きだな、

 

人間のことを考えるのが好きだな気づいたあと、

 

好奇心を消さずに、

 

世界に対してオープンになっていれば、

 

「いつか出会う」というニュアンスじゃないかと。

 

お腹ぺこぺこの人が山に行けば、

 

キノコを見つけて「これは食べられるかな」と考えるけど、

 

満腹で山に入ってもそういうことに興味は持たないし、

 

注意を払わない。

 

それと同じで、

 

自分の興味の対象をぼんやりとでもいいから

 

心のどこかで捉えていると、

 

テレビを見ていても、

 

「あれ? なんかワクワクするけど、これって何?」

 

と感じで、出会うんですよ。

 

僕が例えば『半島を出よ』

 

という作品を書くときは、

 

もう北朝鮮のことで頭がいっぱいで、

 

思いつくと、すぐメモします。

 

テレビでニュースを見ていてもメモするし、

 

新聞を読んでも、誰かが何か言っても、

 

インターネットを見てもメモする。

 

それは、僕がある種の情報に対して飢えているからです。

 

別に24時間探すわけじゃないですよ。

 

飯も食うし、小説も書く。

 

ただ、頭のどこか片隅に、

 

好奇心とミックスさせた何かに対する飢えがあるわけですよ。

 

そうすると、何かの拍子に反応するんですよね。

 

でも、それがない人は、

 

ひょっとしたら、

 

その人にとって一生付き合っていける

 

大事な仕事の芽かもしれないのに、

 

すれ違ってしまうかも知れない。

 

だから、興味の対象の発見は、

 

宝探しみたいに「探す」というニュアンスではないんです。

 

普通に生きているんですが、

 

学校に行ったり、スポーツしたり、友達と遊んだり。

 

そういういろんな人間や情報に触れていく中で、

 

いつか出会うんです。

 

好きなことを「探しましょう」ではなくて、

 

「自分は何が好きか」を頭の片隅に置いて、

 

好奇心を失わず、日々を生きる。

 

それで、出会ったときに自分の中の

 

受容体みたいなものが反応できるかどうかが問題なんです。

 

「自分には、ワクワクできる対象がきっとあるはずだ」

 

と心のどこかで思っていないと出会っても気づかない。

 

だから、子どもに向かって「人生は苦労と我慢の連続だ」

 

と言うのは、好奇心を摘んでしまって、

 

出会っても気づかない状態にしてしまう

 

という大きなリスクがあるわけです。』

 

 

 

 

 

毎朝、家を出るときの皆さんに、ちょっとした提案がある。

 

「きょう一日で、『ワクワクできる対象』を、

 

いくつ見つけられるでしょうか」

 

自分には、ワクワクできる対象がきっとあるはずだ、

 

心の中にその想いがあれば、

 

いろいろと見つかるはずだ。

 

今日は見つからなくても

 

明日見つかるかもしれない。

 

そんな気持ちで日々過ごしていれば、

 

志望校はもちろん、

 

趣味も、

 

仕事だって見つからないわけがない。

 

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