ここ最近は、あまりの暑さのために、

 

エアコンを朝までつけっぱなしで寝ていることが多いのだが、

 

そうすると、朝起きたとき、けだるさがある。

 

だから、普段は極力エアコンをつけずに、窓を開けて寝ることにしている。

 

窓を開けていると、今年は特に気になるのが、

 

セミの声。

 

昔は、セミって夜は鳴かないのではなかったっけ、と思っていたけど、

 

そうではない。

 

調べてみると、セミは基本的には夜には鳴かないようだ。

 

それは、セミが鳴くかどうかは「明るさ」と「気温」が関係していて、

 

普通、夜は暗くて気温が低いから。

 

ただし、ここ10年ほどは、

 

街灯やネオンの増加、

 

ヒートアイランド現象による熱帯夜の増加

 

の影響で夜でも鳴くことがあるとのこと。

 

 

 

150年ほど前のフランスでも、セミのあまりの「大声」に、

 

昆虫学者ファーブルが「セミは耳が聞こえないのかもしれない」

 

と疑って実験をしたのは有名な話だ。

 

もちろん、昼間の話だが。

 

ファーブルは大砲を2門借りてきて、

 

セミが鳴いているプラタナスの下で空砲をぶっ放した。

 

ところがセミたちは逃げもせず平気で鳴き続ける。

 

ファーブルは耳がよく聞こえないのだと結論づけた。

 

現代の研究では、セミは腹部の膜で音を感じていて、

 

大砲の音は聞き取る範囲に入っていないということらしい。

 

 

 

セミは地上での寿命が短いので、

 

懸命な鳴きごえは勘弁してあげたい。

 

 

 

 

 

 

「閑さや岩にしみ入蝉の声」。

 

芭蕉の名句が似合う季節だ。

 

かつて、ここに詠まれたセミは何かとの論争があった。

 

句の生まれた山形県が故郷の詩人・斎藤茂吉は、アブラゼミを主張。

 

一方、夏目漱石研究の第一人者・小宮豊隆は、ニイニイゼミだと反駁を加えてきた。

 

茂吉が、同句の詠まれた時期に合わせ、

 

現地に鳴くセミを調査したのは、

 

80年ほど前の夏だった。

 

結果、軍配はニイニイゼミに。

 

調査が進むほど、主張が崩れゆく劣勢に、生来、負けず嫌いの茂吉が、

 

あぶら汗をかいたかは定かでないが、

 

潔く兜を脱いで認識を改めた姿は、ほほ笑ましくもある。

 

 

 

異論が出された時、どのような行動を取るかで、

 

結果は大きく異なってくる。

 

いたずらに自説に固執することなく、

 

互いに打ち合うことで、

 

自他共の進歩の道が開かれるのではないだろうか。

 

この柔軟にして、たくましい錬磨の姿勢こそが大事であろう。

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