胸突き八丁
試験開始!の合図と同時に、試験会場全体に漲るあの異様な雰囲気。
紙をめくる音、
鉛筆を取り上げる音、
押し殺した咳払い、
一瞬のざわめきが室内を通り過ぎる。
次の瞬間は
水を打ったような静けさ。
咳払いひとつ聞こえてこない。
あの試験会場の不気味なまでの静けさだけは
どんな人でも一度体験したら
忘れられないものであろう。
その静けさの中で激しい戦いが展開されるのである。
それが淘汰の試験なのである。
このような試験の時間を、
監督者の側から静かに観察するとき
受験生の心のありようが
ほぼ三つの時間帯で大きく変わっていくようなのであることがわかる。
まず最初の1/3の時間帯。
試験開始直後のひとそよぎのざわめきの後
あらゆる受験生が一斉に答案用紙に取り組む。
どんなぐうたらな受験生でも必ず一生懸命にやろうとする。
できるもの、できないもの、
自信があるもの、ないものの間にも
闘志になんらの差もない時間帯。
全員がものすごい気迫で答案用紙に向かい
鉛筆を握りしめた指にも
渾身の力を込めているのがありありとわかる。
この時間帯には受験生は全く平等で
答案にもまだ何の差異もあらわれていない。
だがこの第一の時間帯も終わりに近づくと
ぼつぼつテストを投げ出す受験生があらわれてくる。
突然ひょっこり頭が机から離れるのだ。
もう捨てている。
やる気を失ったのである。
つづく第2が中間1/3の時間帯。
やっぱり難しかったなぁと思いつつも
それでもなんとか頑張らねばと
多くの受験生の顔には悲壮の気がみなぎり始める。
よし出来た!とやや安堵の胸をなでおろすものもいる。
もう一息だとさらに机にしがみつくものもいる。
各人各様に表情の差が最もはっきりと現れてくる時間帯でもある。
しかし実はこのときは、まだ、その表情の差ほどには
答案には実質的な優劣の差はあらわれてきていないときなのだ。
本格的な勝負はまだ着いていない。
ここまでではまだまだ致命的ではない。
合否を決する差異はこれから以後にあらわれてくるのだ。
これから先の粘りが
答案を活かしもするし、殺しもする。
どんなテストでも本当に勝敗を決するのはこの次に続く最後の時間帯。
最終の1/3の時間帯にあるのである。
たとえいかに今まで調子良くできたと思えるものでも
最後の時間帯で力を抜くと
結局は失敗の憂き目にあわねばならない。
また逆に非常に調子が悪かったと思えたものでも
この時間帯の最後の最後までを粘り抜いたときには
必ず望外の線まで、肉薄できているものなのである。
水泳で例えてみたい。
最後のターンを折り返してからこそが
本当の勝負なのではないだろうか。
ドラマがあるとすればここではないだろうか。
胸突き八丁を駆け上がってきた挑戦者には
解けない!とさじを投げてしまうような問題はあまり多くないだろう。
解けなかったとしても、
あとから解説されたらすべてが納得できるものばかりではないだろうか。
だとすれば
試験会場でひらめかないわけがない。
他の合格する人たちも全く同じなのである。
特に今まで学力が不足していて、
受けるべきか受けざるべきかに
心を痛めてきた受験生はなおさらだ。
逆にそうした受験生は
粘り強い根性が身についていることを忘れてはいけない。
これはものすごい武器になる。
競り合ったマラソンの最終的な勝敗は最後の最後の直線にあるのと同様、
受験生の明日にかける運命も
テストの最後の1/3の時間帯にかかっていることを忘れてはならない。
いやさらにその1/3の時間帯の最後の1、2分において
最後の3、4点を捻出する根性、
まさにその根性にこそすべてがかかっているのではないだろうか。
何事もそうなのだが
あきらめてはいけない!
私もあきらめなどしてはいない。
ひたむきにかつおおらかにいこう。