終戦の日

福沢諭吉は現在の大阪市福島区の生まれで、

 

同市北区に墓所がある緒方洪庵に学んだ。

 

彼の揮毫の右肩に捺す印に「無我他彼此」とあった。

 

「がたぴしなし」と読み、

 

人間関係などの円満さを表している。

 

「我他彼此」は、

 

あらゆるものが互いに依存し合っている本質を見失い、

 

我と他、彼と此を対立的に見る愚行を戒めている

 

諭吉といえば「独立自尊」が信条だが、

 

決して孤立はしなかった。

 

書の左下の落款印(雅号の印)には「三十一谷人」と。

 

「三十一」を1字にすれば「世」(卅と一)になり、

 

「谷人」は“人偏に谷”で「俗」――「世俗」である

 

時に導き、近代化を推進した偉人が重んじたのが、

 

「演説」と「新聞」であった。

 

英語の「スピーチ」を「演説」と訳し自ら率先して実践した。

 

日刊紙「時事新報」も創刊。

 

日々、世の人々に交わり、

 

声で、活字で、自身の主張を繰り返し展開した。

 

 

 

 

 

さて、

 

福岡県の、高校生が、

 

米国の高校に留学していたとき、

 

校内向けの動画で、

 

原爆のきのこ雲を模した高校のロゴマークに異を唱えた。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/533053/

 

 

 

動画はインターネット上で拡散し、

 

広く話題に。

 

 

1年間の留学を終え、

 

帰国した彼女は

 

「批判を恐れずに、自分の意見を伝えることの大切さを学びました」と振り返った。

 

米国では歴史の授業で、

 

「原爆のおかげで戦争が終わった」と習う。

 

原爆が投下されたから、平和が訪れたと認識している人が多い。

 

つまり、きのこ雲は「平和の象徴」であるのだ。

 

 

一方、日本では、

 

きのこ雲に誇りを感じる人はいないだろう。

 

原爆のきのこ雲は、残酷さや恐怖の象徴だ。

 

彼女は、同級生から

 

「あなたを誇りに思う」

 

「あの動画がなければ日本側の意見を知ることは一生なかった」

 

と勇気ある行動を称賛された。

 

地元紙でも取り上げられ、

 

彼女のメッセージをきっかけにさまざまな場所で議論が生まれた。

 

 

 

インターネットが普及してから

 

相当の時間が経過した。

 

しかし、人は変わらず、誤解もするし、偏見も持つし、

 

そして、何よりも、感情で動く。

 

今の時代こそ、みんながそれぞれの声を上げていかなければいけないと思う。

 

福沢諭吉の時代と変わることなく。

 

 

 

声をあげるとき、聴くときの注意点がある。

 

「私はあなたの意見には反対だ。

 

だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。」

 

これは300年以上前の思想家ボルテールの言葉だ。

 

どれだけ時が流れようと、

 

人間の本質は変わらないということだ。

 

 

 

 

最後に、ボルテールの言葉をもう一つ紹介しよう。

 

真実を愛せ。ただし過ちは許せ。

Love truth, but pardon error.

 

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