もし、柿の種が

 

味も香りも良い果肉のようだったら。

 

詩人吉野弘氏は

 

そんな想像を働かせた。

 

種は

 

果肉とともに

 

食い尽くされるだろう、と。

 

 

 

 

種子は

 

好ましい味をもたなかったがために

 

周囲から無視され

 

かえって未来への芽を守り続けたというのだ。

 

詩人は結論する。

 

人間の歴史にも

 

同時代の味覚に合わない種子があって

 

明日をひっそり担っていることが多い

 

 

 

長い時を経ても残るもの

 

それが

 

時流とは一線を画した

 

「種子」のような生き方ということなのだろう。

 

確かに

 

世間の風潮に迎合し

 

流行を追いかけるだけの人生は空しい。

 

真実の幸福の実体はない。

 

反対に

 

毀誉褒貶に流されることなく

 

自らの信じた道を貫く人生には

 

充実がある。

 

永遠に崩れざる勝利がある

 

そのために必要なのは

 

「何のため」という根本の哲学ではあるまいか。

 

目的観があれば

 

人生の座標軸はぶれない。

 

確かな軌道を歩んでいける。

 

目的観がなければ

 

迷走するだけだ。

 

一人ひとりが

 

目的に向かって

 

堂々と進んでいきたい。

 

必ず人類の未来に花開く

 

堅固な「種」になると確信して。

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