確率
今度の土曜日は、うちの小学生たちの宿泊学習の出発日だ。
雨マークは出ていないし、降水確率も20%だ。
よかった。
このような場合に、天気予報の「降水確率」を見るように、
人は物事を判断するとき、「確率」を考える。
では「確率が計算できない」場合はどうだろうか?
その時、人は「最悪の事態」を予想して行動する。
昔、雲行きが怪しかったら洗濯をやめたように。
人間は「不確実性」を嫌う。
活発だった株式の取引が、
悲観的なニュースによって先行きが分からなくなると、
大方がいっぺんに手を引く。
バブルが、徐々にではなく一気に崩壊するのは、この理由だ。
だが、見通しが立たない困難に直面した時、
例えば、突如、生活の糧が失われたり、
病気で医師から余命を告げられたような場合、
悲観にとらわれ、
最悪の事態ばかり考えていては絶望するだけだ。
最悪を見据えつつ、
「不確実」
すなわち「決まっていない」のだからこそ挑戦する。
人類は、こうして未来を切り開いてきたのではないか。
冤罪を被って国外追放されたダンテは、
過酷な運命に対してなお、
「もし意志の力が/十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」と。
人間の中には、
不確実な人生を確実にしていく力が秘められている。
人生の勝負を決めるのは誰でもない。
自分である。
だから勝つと決めた人が、最後に必ず勝つ。
模試に書かれてある合格確率なんて
あてにならないよ。
ホントだよ。
がんばれ、受験生。