柔道界のレジェンド
来年のオリンピックの聖火は、柔道の野村忠宏さんと
レスリングの吉田沙保里さんがギリシアから運ぶことになったと報道されていました。
来年3月19日にアテネで聖火が2人に引き継がれるとのことです。
二人ともオリンピック三連覇の偉業を成し遂げた大選手です。
私は小学生の頃に柔道を習っていたことがあります。
私自身も体格が小さかったので、
柔道軽量級の小さな巨人と呼ばれていた野村忠弘さんの大ファンでした。
以前読んだ彼の著書を思い出しました。
それまでは、もともと才能に恵まれた
雲の上の存在のような選手として考えていました。
しかし、読んでみて驚いたのは、
もともとはオリンピックで金メダルを取るような
強い選手ではなかったということ。
中学時代は女子にも負けたことがあると知り、
驚きました。
高校もスポーツ推薦ではなく、一般入試だったそうです。
高校入学後、練習を重ね、初めて全国大会に出場するも、
一勝もできなかったそうです。転機は大学入学後におとずれます。
野村選手が、まだ大学2年生だったときの話です。
6分間の乱取り(練習)を13本行うことを日課としていましたが、
恩師から厳しく叱られました。
キミは13本乗り切ることを計算して練習していると。
「これからは時間を気にするな」
「自分の限界までとことん追い込め。
途中でバテたら、そこで休んでいいから。」
それからは、最初から飛ばしました。
6本目くらいでふらふらになり、
休もうとすると、「お前、そんなもんか。」
カチンときて、「なにくそ」と再チャレンジ。
不思議なことに、まだ体が動く。
自分で決めた限界の向こうにはまだ力が残っていたのです。
限界だと思ってからが本当の勝負だったのです。
それを知ってからは、勝負に対する集中力や執念が
明らかに変わっていったそうです。
特に大舞台では、限界を超えた力が試されるのです。
あと5分、もう5分と稽古ができるようになり、
壁を破ることができたといいます。
そして、大学4年生のときに、
アトランタオリンピックで1つめの金メダルを手にいれます。
今春東大に現役合格を果たした2名の生徒がいます。
彼らに後輩が質問をぶつけたときのことが印象に残っています。
「毎日どれくらい勉強したんですか?」
「息抜きはどうしてたんですか?」
「睡眠時間はどれくらいですか?」
「部活はがんばっていましたか?」
「勉強方法は?」
「いい成績をとる秘訣は?」
などなどさまざまでした。
先輩たちの答えは、言葉こそ違えども、
内容は非常に近いものでした。
共通していたのは、
勉強だけを頑張っているのではないこと。
部活動などにも熱心でした。
彼らは時間の使い方がうまい。
勉強ばかりしているわけではないのです。
でも、あくまで、学習が一番大切だという大前提があります。
だから、いったん始めると、
ものすごい集中力で学習し始めるのです。
「何分やる!」「何ページやる!」という形式的な学習はしません。
やるときにはとことんやるのです。
「毎日どれくらい勉強していましたか」
という質問にきょとんとし、
「使える時間はすべてでした。」
と答えていた様子が印象に残っています。
野村選手の乱取りのエピソードと重なりますね。
野村選手と彼らに共通する才能は何だろうかと考えたとき、
私の頭に「負けず嫌い」であることが浮かびました。
負けるのはイヤだけれども、
努力するのもイヤという人は負けず嫌いではありません。
ただの怠け者です。
本当の負けず嫌いは
負けたくないから、とことんやるのです。
負けたくないから、結果のでるやり方を考えるのです。
負けたくないから、自分の鍛えるべきところを考えるのです。
彼らのライバルたちは、みんな高得点が取れる努力家の秀才たちです。
そんなライバルたちにも、
そして弱い自分自身にも「負けたくない」
そんな競い合いでは、限界を超えた力がどれだけなのか、
それで勝負が決まるのです。
実際の力の差は紙一重の違いです。
しかし大きく差がついて見えるのです。
金メダルと銀メダルの違いくらいに。
いつか本当の実力を出すというのでなく、
今日を全力で生きよう。
明日のために力を取っておくのではなく、今日使い尽くそう。
使い尽くしたとしても
明日になれば明日の力は湧いてきます。
そんな風にがんばっている人が
もしも
仮にもしも
春にサクラの花が咲かなかったとしても
長い目で見れば
開花の時期が持ち越されただけなのです。
希望の道は必ずひらかれることを信じてください。
最後に
野村選手は引退記者会見で、
「あなたは『天才』ですか?」
という質問に対して、
このように答えました。
「長い人生を振り返った時に、
弱かった時代の方が長かった。
もしかしたら才能はあったかも知れないが、
開花するまでの長い時間を諦めなかった信じる力や、
思いを伴った努力は本物だと思う。
信じられたからこそ、今がある」