手帳とノート
先週起こったノートパソコン紅茶事件はすでにご紹介した通りだ。
あの事件は私の中での今年度の10大事件にすでにエントリーされている。
ノートPCの故障は相当な痛手であった。
しかし、実は事件発生時カバンの中に入っていたのは
ノートパソコンだけではなかった。
ノートパソコンと同じくらい大事なもの、
手帳もカバンの中に入っていたのだ。
あの忌まわしい事件によって、
私の手帳は現在下2㎝くらいが紅茶色に染まっている。
下部だったため、実際の使用に大きな影響がなかったのは
不幸中の幸いだった。
手帳の中にはスケジュールのすべてと
様々なアイデアなどが書かれている。
手帳は20年以上改良を重ねて使い続けている。
最近はスマホなどでスケジュール管理をしている人が
多くなっているが、
私は今後も手帳を使い続けていくだろう。
なぜ、手帳をつけるのかというと、
私の場合は「忘れるため」だ。
書いたら忘れる、それでいい。
必要に応じて手帳を見て引き出せばいい。
だから予定のほとんどは正確には記憶していないのだ。
終わってしまえば、覚えている意味のないことだから
私ではなく手帳に覚えさせているのだ。
事細かに。
さて、話を手帳からノートに変えてみたい。
ノートをとる理由は何だろうか。
忘れたときのためにとか、
後で復習できるように、
などが多いのではないか。
もしそうだとすると、
それでは私の手帳を書く理由と同じではないだろうか。
忘れたときにはノートから知識を引き出せばいいとか
家に帰って見直してみようとか
テスト前にノートをまとめ直して復習しようとか
考えてノートを書いているならば、
間違いなく忘れてしまうだろう。
完全に忘れなくても、
正確には覚えていないだろう。
私のスケジュールと同じように。
ろくにノートも取らないのに
テストでいい点をとる生徒がいる。
ノートは自分の直接の記憶ではない。
ノートを取らない生徒は、
他の子が一生懸命にノートを書いている間に、
自らの頭脳に知識を直接入力・保存しているのだ。
どこに保存してもいいのだが、
テストではノートを持ち込むことはできないから、
頭の中に保存してある子の方が強いのは当然だ。
黒板必死に写してる生徒たちがいる。
それで勉強した気になっている生徒たちもいる。
丁寧に、色使いもばっちりと書いている生徒たちもいる。
それではずっといつまでも記憶力が良くならないし、
成績も上がらないだろう。
大胆に言わせてもらうと、
大事な事柄は、その場で、頭脳本体に叩き込むこと。
それが一番確実な方法だ。
ノートはその場で頭を整理するためだけのものでいい。
忘れてもいいようにとか、後で思い出せるように、などと考えて
ノートという外部記憶装置にばかり頼っていると
頭脳本体の性能が向上しないのだ。
年度の終わりが近づいてきている。
新年度の飛躍に向けて
ノートの取り方を見直してみてはいかがだろうか。