勉強と学習
勉強という言葉には悪い意味があるから
学習という言葉を使うべきだと言った人がいる。
それを聞いたときは
両者の違いを理解していなかった。
「勉強」を辞書で調べてみると
①努力をして困難に立ち向かうこと。
熱心に物事を行なうこと。
励むこと。また、そのさま
②気がすすまないことを、しかたなしにすること。
③学問や技術を学ぶこと。
②の意味のように
勉強の中の「強いる」ということばが
無理にやらせているという意味だというのだ。
でも、実は、「勉強」のもともとの意味は①の意味
努力をして困難に立ち向かうこと、熱心に物事を行うことなのである。
この意味の「勉強」は、中国の古典、礼記にでてくる。
日本でも「勉強」はそのような意味で長い間使われていた。
それがいつごろから学ぶという意味をもつようになったのか
その時期はよくわからない。
でも、福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で、
今と同じ意味の「勉強」を使っている。
同時期の中村正直が
サミュエル・スマイルズ著の自助論を翻訳した西国立志編に出てくる
「勉強」は今と同じ意味である。
学ぶという意味をこの2人が考え出したということではないだろう。
しかし、彼らの周辺で、同じように学問を身につけることを目指していた者たちが使い始めたのだろう。
日本を何とかしなければならないとの気概を持って学んだのだろう。
多くの人間の本質は怠け者だと私は思う。
しかし、激動の時代にそんな悠長なことは言ってられない。
だから「勉強」は
弱い自分に打ち克って
まさに努力して励まなければならないものだ
ということから生じた意味だったのだろう。
明治の代も令和の世も同じだろう。
楽して身につくような学問などないのかもしれない。